沖縄にいた時は、朝帰りなんて当たり前だった。なにせSのビーフは午前零時にスタートする。あの熱狂を楽しんで、クレイジーロックを下ってこっそりベッドに戻る頃には、空が白み始めてる事も珍しくなかった。その分授業中にはよく寝てたけど、仕事してるともなればそうはいかない。自分が日中働くようになって思う。あいつら花屋とかレストランで働いててよく深夜にスケートやってたな。
普段の生活がそんなだから必然、寝坊とかするのは休みの日になる。今はもう、部屋に帰り着いた夜明けよりももっと遅い時間だ。窓から差し込んでくる光はずいぶん高くて眩しい。そういえば昨日は雨戸を閉めるのを忘れていた。
ランガの年内最後の課題提出も片付いたし、数日分の食品も買い込んである。今日の休日は買い物とかパークに行くにしても午後、午前中は二人でずっとベッドにいるって決めていた、長い時間二人で過ごせる久しぶりの夜だったから。雨戸なんてものを気にしてる余裕は俺にもランガにも少しだってなかったんだ。
すっかり目が覚めた今も、男二人には少し手狭なダブルベッドの中、隣で寝息を立てる可愛いヤツから離れるつもりはない。裸の腕に触れる細い髪のやわらかい感触。少し湿っているのは、一度シャワーを浴びてからもう一戦交えてしまった名残だろうか。銀糸をすくってそっと口づける。ほんのりしょっぱい気がする。そのままくしゃりとかき混ぜてから、俺はうつ伏せて覗いていた画面に視線を戻した。
もぞ、と鈍く動き出す気配がする。少し顔を上げたかと思うと俺の肩に頭突きしてきた。ぶつかる鈍い音がする。甘えるみたいな仕草に頬が緩む。
「はよ、ランガ。起きるなりなんだよ」
「……おはよ、暦。なんだよはこっちのセリフだよ……俺といるのに何見てるの……」
唇を引き結んでむっつりした表情を作ったあかと思えば、ずるずると俺の背中に乗っかって後ろから首に抱き着いてくる。素肌に触れるやわらかい布の感触は、寝落ちる前に上だけ着せた俺のスウェットだ。だんだん力が入れられる腕に、ちょっと首が締まりかける。目覚めのランガはご機嫌ななめだ。悪いとは思うけど、俺がタブレットをいじってたのが原因だと思うと可愛くて仕方ない。
「ほら」
「え」
「何見てたか気になるんだろ」
片手でランガの前髪をかきあげて、いじってたタブレットの画面を見せてやる。じとっとしたままの目が、画面を見てしばらく、きらきらきらめく。ちょっとは機嫌が直ったみたいだ。
俺がやっていたのは、この前録った動画の編集だった。夜の駅前のストリート、フラットを滑り、オーリーしながらのデッキの前後入れ替え、ポールの滑り降り。画面が変わって公園の階段から跳んで空中でのトリック。もちろん、全部ランガだ。
「これはこの前近所で滑ったやつだろ。あと先月渋谷行った時のと、夏に帰省した時の国際通り。クレイジーロックで録ったのは……さすがに入れらんねえか。その辺繋げばちょっといいパートになるんじゃねえかなって」
BGMを変えたり、再生速度を調整したり。小さい画面の中、簡単に編集して見せる。へぇ、との声と一緒に青い瞳が輝く。
「……いつも録ってる動画、編集なんてしてたんだ」
「そりゃそうだろ」
スケーターは昔から動画文化がある。憧れのスケーターの動画を真似るのなんてトリックを練習する理由で一番多いだろうし、スポンサーへの売り込みだって動画になる。昔はビデオテープを擦り切れるまで見ていたものらしい。最近では大会の配信も当たり前になってきたし、要するに「カッケー」をチェックするのもアピールするのも、動画がめちゃくちゃ重要、って事だ。
「まだアップはしてねーけどさ。ランガのサイコーにカッケーとこ、いろんな人に見て欲しいじゃん」
背中に乗ったまま、俺の頭の横から頭を出してくる。興味が沸いたらしい。
「……ちゃんと見ていい?」
「? おう。途中だけど」
俺の顔の前に伸ばされた両手にタブレットを持たせる。保存してあったものを、最初から再生。
BGMに付けた曲は、ランガのスケートのイメージに合うと思った曲だ。疾走感、ヒリヒリする感じ。闘志。……風の中の雪。音ハメがうまくいったのもあって、ランガの雪が舞うみたいな綺麗なスケートの魅力が、それなりに表現できてるんじゃないかと思う。
「まー、実物の方が断然カッケーけど」
ほんの四十秒ほどに編集したそれを、ランガは何度も繰り返し再生している。そんな面白いものだろうか。
「……暦には俺がこんな風に見えてるんだ」
ぽとりと落とされた声は、俺の耳には届かずに消えた。聞き返してみるも、ランガは動画を見たまま首を振る。教えてはくれないらしい。
俺の上から滑り降りたランガに顔を掴まれ、横向きに向かい合わされる。まっすぐ見つめてくる青色は真剣そのものだ。
「暦、あとで俺にも編集教えて」
「は?」
「俺も暦のかっこいいところみんなに見て欲しいし。あるだろ?暦の動画も」
「そりゃあるけど」
トリック練習用のとか、ストリート滑ってる時のとか。それこそ短い動画をSNSにあげるくらいなら昔からしている。この前大会に出たときのも、店長たちが撮ってくれていたはずだ。
「あと俺の動画もアップするなら俺にもいじらせて」
「それは、構わねーけど」
俺の編集が何か気に入らなかっただろうか。ランガをどういう見せ方したら一番クールか知ってんのは、一番のファンの俺だと思うんだけど。思ったままを口にする。ランガが縋りついてくる。
「だからだよ」
俺の肩に伏せられた顔の表情は見えない。何事かと思っているところに、続けられる声。
「暦が俺の事だけ考えて作ってくれたのは、俺が独り占めしたい」
俺がどう見えてるかなんて、ラブレターみたいなものだろ?
ランガは、俺から見えてるランガを、ランガを見てる俺の視線そのものを、自分だけのものにしたいなんて言う。――ランガ、お前さぁ。
「……一緒に作ったって、他のどんな動画作るにしたって、大差ないと思うけど」
不思議そうに傾げられる頭にそっと手を添える。
「だって、俺いつもお前の事しか考えてねえもん」
「……ずるい」
そんな言い方されたら。
頭をくしゃくしゃに撫でてやる。ランガは俺にこうされるのが好きだ。前にからかい混じりに本人に言ったら、暦に触られるのはなんでも好き、だなんて言われて俺の方が照れたっけ。
タブレットを置く。ランガの頭を引き寄せて、俺がたった今乱した髪に指を絡める。撫でていた手で頬を探り当てて、こっちを向かせて顔を近づける。目を閉じて、唇を重ねた。
頬を包んでいた片手を頭の後ろに回し、ぐっと引き寄せる。触れる面積の増えた唇の感触を楽しんでから、やわらかい下唇を食む。酸素を求めてかうっすら開いたそこに舌で触れれば、抱きしめた身体がぴくりと動いた。唇を一周湿らせて顔を離す。鼻の触れるままの距離でマリンブルーを見つめて、わざと落とした声で囁く。
「……こんな俺は嫌いか?」
微かに赤く染まったランガの白い頬。少しだけ眉を寄せている。
「……それがずるいって言ってる。わかってるくせに」
どこか悔しそうな顔に、してやったりと思ったのもつかの間、するり、片手に指を絡められる。
「スケートと俺が好きなかっこよくてかわいい暦が、俺の好きな暦だよ」
少しだけ拗ねたみたいな表情がふんわりと溶けるみたいな笑顔に変わる。どっちも俺の心臓をおかしくする、破壊力抜群の顔。
「いつも優しく俺を見るやわらかい瞳が好き。抱き合ってる時の余裕ないぎらぎらした目も好き。俺に触れてくれるちょっと皮が厚い指が好き。デッキとか服とか、いつも頭を撫でてくれる、いろんなものを作り出す体温の高い手が好き」
まっすぐ目を見て、身を寄せながらランガは言ってくる。
「いつも俺を大切にしてくれるのが好き。俺だけが特別だって、全身で感じさせてくれるのが好き」
暦を暦としてつくりあげてる、暦の全部が大好きだ。
……だからお前はなんでいつもそう、こういうときばっかいっぱいしゃべりやがって。
唯一の存在にそんな風に畳みかけられて、無事でいられるヤツがいたらお目にかかりたい。
「……ずるいのお前の方じゃね?」
タブレットをベッドの端に追いやって、ランガの身体に手を回した。背中から腰まで意思を持って撫でおろせば、抱きしめた身体はふるりと震えて高い声を漏らす。だからなんでそんなに火ィつけるのうまいんだよ。
朝食は、もう少し遅くなりそうだった。