Because I love you(5) -…years later-

Becaue I love you

 スケートをやりたい、って本当に思うきっかけってなんだろう。
 一番初めは、ちょっとの興味だと思う。テレビで見た選手がかっこよかった。好きな芸能人が趣味だって言ってた。友達に誘われたから。そんなきっかけから、本当にパークに来たり、ボードを買ったりする人間はほんの一握りだ。実際にボードに触れてからも、根気の要る反復練習や怪我の多さに脱落する人は後を絶たない。そういうのを超えて、スケートを楽しいって思えるのってどんな時だろう。
 初めて間近でオーリーを見た時。トリックを決められて気持ちよかった時。競い合える誰かと拳を合わせた時。そういう自分だけの「サイコー」を見付けて欲しい。
 スケートが初めて、って子供たちとふれあうとき、俺はいつもそう思ってる。

 アールの上から滑り出し、勢いのままにフラットを跳ぶ。プッシュで加速して、反対側のアールを上り切ってコーピングから跳ぶ。縁石でノーズスライド、滑り切った先で高く跳ぶ。
 ――元いた場所に戻ってきてスケートを止めれば、いくつものちいさな手がぱちぱちとまばらに打たれる。何組かのきらきらした瞳を見付けて口の端が上がる。この子たちは、スケートを好きになってくれたかな。
「十三時になりました。それじゃあ、今日の教室はここまでです。お疲れさまでした!パークは一日使えるんで、ぜひもっと滑ってってください!」
 仲間のスタッフの号令に上がる声を聞いてから、俺は跳ね上げたボードと荷物を抱える。スタッフの目配せに片手を上げて、出口の方へ歩き出す。いつもは俺もパークの営業時間中は自分の練習をしたり講師の真似事をしたりするけど、今日ばっかりは事情が違った。
 スケートが競技として広まりだしてから数年、ここ沖縄のスケート人口も増えたし、それと一緒にパークも増えた。パーク建設にはどこぞの議員の尽力もあったらしいけど、詳しくは知らない。
 俺は二年前にできたこのパークで開業当初から月に一回、スクールのスタッフの一人として超初心者コースを教えている。初めにこの島を出てから七年。いろんな事があったしいろんな事をしてるけど、初めてスケートに目を輝かせる瞬間が見られる初心者講師も、俺はとても好きだった。
「暦」
 出口までの途中、連れ添った相棒の出迎えに笑みを返す。突き出される拳に同じものを返して輪を作る。身体の横に下ろした手指を絡ませる。いつものように、俺たちは歩き出す。
 ここのパークには初心者講習に使っていたフラットの他にも、バンクやランプ、レールやボウル、色々なセクションがある。そのどこでも何人もの人が滑っていて、その中には当然、名の知れたスケーターなランガを知ってるヤツも多いわけで。
「あ、ランガだー」
「エアトリック見せてー!」
 こんな風に気軽に声を掛けてくるヤツもいる。俺と一緒に顔を出すことを知ってる、パークができた頃から出入りしてるちびたちだ。元気なその声にまた今度ね、と手を振って返す声はやわらかい。そんなランガにひっそり笑って、繋いだ手ごとランガにぶつける。
「こっち着いてすぐ来たのか?」
「ううん、一回部屋寄った。お昼作ってあるよ」
「やった。サイトどう?なんかあった?」
「新しいのはないよ。一昨日までの注文は今朝出してきた。滞りなし」
「サンキュ」
「あと俺来週、」
「遠征だろ。わかってる。帰ったらボード見てやるし」
「うん、ありがと」
「あと岡店長がさっさと送れって」
「はい、夕方行きます」
「そう言っといた」
 ――東京に出て一年目の終わり頃、NYから帰って、二人で「スケ―トの楽しい」を伝えるために何をしたらいいか話し合って。まずは、勉強しながら金を貯めた。ちょっとずつ動画で知名度も稼ぎ始めた。大会でも結果を残した。そうやってそれぞれに「ちょっと名の知れたスケーター」になってから、「馳河ランガ」「喜屋武暦」の名前を使って、その部屋を拠点にネットショップを始めた。一番初めは高校生のころから作ってたみたいな俺デザインのシャツやパーカメインに、デッキのオーダー。それからギアの取り扱い。自社アパレルも置いてるスケートセレクトショップって形を作り上げていった。
 バイトを並行しながら、勉強を続けながら、大会や動画の露出もできるだけ。めちゃくちゃ大変だったし、何度も何度も喧嘩したけど、失敗なんて慣れっこだ。努力の甲斐あって今では企業とのアマ契約もついたりして、なんとかバイトに頼らないで生活できるようになったし、こうして地元でスクールにも携われてる。
 俺たちの「夢」は、着実に現実にすることができている。
 今日のスクールは朝から。パークに来るときには他のスタッフに乗せて貰って、帰りは彼氏様のお迎えがいつものパターンだ。ランガと並んで歩いたパークの駐車場に停まっていたのは、想像していた俺たちのワゴンではなく。
「……バイク?」
「うん」
 繋いでいた手を離し、ランガが車体に触れる。ヘルメットを投げて寄越しながら、俺に笑いかける。
「懐かしいだろ。最初はクレイジーロック行くときもこうだった」
 そりゃあ、高校生の歳じゃ車の免許取れねえしな。軽口を叩こうとしてやめる。高校の頃、出逢った頃の事を思い出させてくれる。ランガも今日を大切にしてくれてるって、そう思えたから。
「おう」
 ランガの後ろに跨り、あの頃より逞しくなった、それでも決して太くはない腰に手を回す。ヘルメットをこつんとぶつけると、ランガが笑ったのが空気でわかった。
「じゃあまず部屋ね。さっきも言ったけど、ご飯あるから」
「ん」
 エンジンをかける。バイクが動き出す。夏の空の下、風の塊に突っ込んだ。

 世界は茜色に染まっている。ゆっくりと海に落ちていく夕日の前で、スケートをしているヤツらがいる。高校生だろうか。初心者めいた動きの一人の練習に、もう一人が教えてやっている。そんな姿を見ていたら、なんだか笑えて来てしまう。だって、出逢った頃の俺たちみたいだ。
 海の見えるスケートパーク。夕暮れの時間。あの頃の俺たちがいた場所。
「暦」
 あの茶髪の方の子。隣に座ったランガが肩をぶつけてくる。茶髪の方、教えてる方の高校生。その胸元を見ろとランガは言う。
「……あ」
 見慣れすぎたロゴ。彼が着ているパーカは紛れもなく、
「……うちの、」
 サイトに置いてるし、東京で勤めてた店にも、高校生の頃バイトしてた店にも少し卸させて貰ってる。俺たちが一応にも食えてる程度には流通してるのもわかってた。だけど、こんなにも近くで目の当たりにした事がどれだけあっただろうか。
「なぁ、暦。あの子が俺たちのやってきた事の証拠だよ。あの子だけじゃない。スクールからだって、スケート好きな子は生まれてる。俺たちの動画にコメントくれる人だっている」
 だから、大丈夫。俺の右肩に頭を乗せたランガが、俺の右手を握ってくれる。俺の左手とランガの右手、二人で横向きに持った俺のスマホの画面に目を落とす。
 写っているのはデッキの商品ページだ。先週告知した、うちから出す、流通に乗せる初めてのデッキ。
 生産工場もたくさんあって低コストで作れて、場合によっては大量消費も見込めるアパレルに比べたら、デッキをひとつのモデルとして生産ラインに乗せる事は遥かに難しい。セレクトショップとオリジナルアパレルから始めて数年、やっとデッキを商品として出しても採算が取れる目途がついて、実現までこぎつけた。
 先週の告知から数日、反響がなかったわけじゃない。それでも、まだわからない。受注開始まで、あと数分。本当に、売れるのか。
 画面の端、時刻表示が十七時ちょうどを示す。ページをリロードする。さっきまではなかった注文へのリンクが表示された。
 唾を飲み込む。
 ――ぴろん。
 どれくらい経った頃だっただろう。メールの着信を告げる電子音。画面上部の通知に触れてメールを起動する。ショップサイトのメールアカウント。内容は、デッキの、
「……――ッ」
 ぴろん、ぴろん。間を空けずに、何度も通知音が鳴る。同じアカウント、同じ内容。……正直、想定以上の件数だった。
 俺のデッキが、俺たちのスケートが、こんな形でも、誰かに、何人もの人に求められている。
「――暦っ!!」
 スマホが落ちる。一緒に持っていたランガが手を離したからだ。上擦った声で俺の名前を呼んだランガの両腕は、俺の身体をきつく抱き寄せていた。
「暦、暦、れき」
 耳元で繰り返される声と、足元で鳴る通知音。
 ――目元が熱い。
「……ランガぁ」
 情けない涙声しか出せない俺は、ランガを抱きしめ返す事しかできなかった。

 ――星が瞬いている。
 フラットから地面を蹴って加速をつける。上り切ったアールの先、空へと跳ぶ。高く。高く。視界が回る。あの頃から、お前が見ていた景色。そのままアールを滑り降りて、バンクからのオーリー、足元でボードを回転させる。足裏にボードを戻し、再び駆け上がったアールから高く跳ぶ。
 俺はお前みたいに、雪を見せるなんて事はできないけど。
 ザッ、と音を立てて止まる。滑りを見てて欲しい、って言ったのは俺だ。ランガは俺の滑りに何を感じてくれただろう。
 顔を上げる。俺が世界で一番大切なヤツは、きらきらの瞳で俺を見ている。たぶん、伝わってる。俺たちはスケートで繋がってるって、何十回目かの実感をする。じわじわとこみ上げるものがある。胸の奥が熱い。
 それでもやっぱり言葉にしたくなって、俺はランガの身体に腕を回した。
「あのさ、ランガ」
 周りは青い夜に染まっている。星が瞬く夜空と、それを映してきらめく海。あの頃と変わらないパークで寄り添って、俺は静かに、大切に、言葉を紡ぐ。
「俺、今すげえ楽しいんだ」
 初めて会った頃のお前みたいなスケート初心者に教えてやるのも、ネットショップやってんのも、ストリートのパートとかデッキ作りとかいろんな動画作るのも。――当然、お前と滑るのも。
 俺がスケートでやりたい事、スケートで生きていきたいって思ってた事、お前が俺と一緒にやりたいって言ってくれた事、めちゃくちゃいっぱい叶えられてる。
 簡単じゃなかったけどさ。お前ともすげえ何回も喧嘩したし、でも、その何倍も支えて貰った。スケーターとしても、俺個人としても。
 俺もおまえもさ、動画もそれなりに伸びてきてさ、有名になってさ。お前はアマ契約貰ってたまにメディアにも出てるし、俺も仕入れの関係もあわせてギア提供くらいはして貰えてるし。
 ――うちの、ブランド、って言っていいのかな。俺だけじゃ絶対ここまでにできなかった。馳河ランガが使ってるから、ってのはかなり大きかったと思うよ。
 ……だから、すげえ感謝してるって話。
 お前さ、大きい企業の広告塔はどんなにおいしくても絶対受けねえし、ギアもウィールとかトラックは提供貰ってるけどさ、デッキはずっと俺が作ったの使ってるじゃん。
 俺のデッキがこうやって受注入って、うちでもデッキできるってわかったからさ、お前のおかげでもあるんだけど。やっと、俺でお前に追いつけたっていうか。……お前が夢って言ってくれてた事、なんとかできるんじゃねえかと思う。
 馳河ランガモデルのデッキだよ。
 それやったら、お前は本当にうちのスケーターって言えるだろ。……今更とか言うなよ、俺は真面目に言ってんの。
 だから……その。ああもう、かっこつかねえ。
 抱きしめた身体をそっと離す。綺麗な海色の瞳に、星空と、俺の赤が写り込んでいる。きらきら煌いて、俺の言葉を待ちわびている。――息を吸う。
「ランガのこれから、スケートごと全部、俺にくれませんか」
 俺の全部も、ランガのもんだから。
 ――海色がにじむ。くしゃくしゃになる笑顔、甘くやわらかく俺を見る表情。全部、俺が大好きな、
「やっと欲しがってくれた」
 吐息の触れる距離で紡がれる。背中に回っていた白い手が俺の髪をかき混ぜる。力を籠められる手のひらに誘われるままに、顔を近付ける。きらきらの瞳を見つめたまま、唇を触れさせる。
 性急に唇を割ってきた舌を迎え入れ、逃がさずに絡め取る。髪を梳くまま、もっと深く、引き寄せる。くちゅ、時折立つ濡れた音にさらに煽られる。
「……っは、」
 つぅ、と俺たちを繋いだ糸が切れる。荒く息を吐く上気した白い顔はもう一度近付いてきて続きを促してくる。それに応える前に。俺は熱を帯びた頬に触れる。
「……その前に、答え聞かせて」
 そんなの、この行動自体が答えになってる。わかりきってたけど、それでも言葉が欲しかった。
 一瞬だけ不満げに寄せられた眉が、やわらかく下りる。花が咲くみたいに俺の欲しがった以上の答えをぶつけてくる。
「高二の頃から、ずっと、そのつもりだった」
 開きかけた唇は、すぐに塞がれた。