サイコーな休日のために!

「冗談じゃ、ねぇ、って」
 絞り出すように言う暦の荒い息が唇にかかる。強い琥珀色がまっすぐに俺を射抜いてくる。顔も、首も、肩までも赤い。何も着てない上半身は少し湿ってる。
 帰ってきたばっかりの俺を玄関のドアに押し付けて――なんだっけ、カベドンってやつだ――暦は俺の肩に額を埋めてくる。鼻をくすぐるいい匂いを感じながら、俺は暦に言われた言葉を思い返した。
 だって、まさか、そんなに。
 
 大学の学期末、テストは今日で終わり。レポートもこの前出したので全部。だから、ちょっとゆっくりできる。解放された心地で家への足取りも軽くなる。鼻歌まで口ずさんでしまいそう。
 今日はバイトも入れてない。暦も合わせて予定を空けてくれた。すぐ滑りにも行きたかったけど、今回はテスト続きだった俺のために暦が夕飯をたくさん作ってくれることになった。帰宅予定は七時ごろ、夕飯にちょうどいい時間だ。
 何作ってくれるんだっけ、カレーと、プーティンと、チャンプルーと、からあげと。ラーメンもって言ってたかな。一緒に暮らし始めるまでほとんど料理したことないって言ってた暦だけど、もともと凝り性なだけあって、はまったときには何日も同じ料理を研究してた。そのおかげで、暦が特に得意料理って言うラインナップは本当に美味しい。今の俺が好きな料理は? って聞かれたら暦の料理って即答すると思う。
 明日も二人一緒に予定を空けたから、何時までだって愛し合えるし、それで起きられなくなっても午後からだって滑りに行ける。二人の夜を一緒に過ごすのも久しぶりだ。前に半月くらいできなかったときの暦は夢中で俺を欲しがってくれて、嬉しくて嬉しくて何度もおねだりしちゃって、気を失ったのが明け方ってこともあったっけ。目が覚めてからも抱き合って、汗を流しながらキスをして、ご飯を食べながら触れ合って、それから夜までスケートして、サイコーの休日を過ごしたんだ。思い出して頬が緩む。今日も明日もそうなったらすごく嬉しい。もちろん暦と一緒にいられるだけで幸せだから、何をすることになってもいいんだけど。
 暦とのことを思い返してたら部屋の前に帰り着いてて、俺は二人で暮らす部屋の玄関を勢いよく開ける。

「暦、ただいま!!」

 だんっ。ドアを開けた瞬間、耳元で大きな音がして、影が覆いかぶさってきて。視線を上げる。
 暦の荒い息が唇にかかる。強い琥珀色がまっすぐに俺を射抜いてくる。顔も、首も、肩もまで赤い。何も着てない上半身は少し湿っている。――息が止まりそうになる。
 何?暦どうしたの?『おかえり♡何にする?』なんて新婚夫婦の『お約束』があるって言うのは聞いたことあるけど、暦一択?俺は大歓迎だけど、まさかあの恥ずかしがりの暦が?本当にどうしちゃったの?
 すぐそばに感じる熱い吐息と体温に心臓が飛び出しそう。積極的な暦に酔いたくて、熱を込めて暦の目を見つめる。俺のどきどきまで伝わって欲しい。

「……すまん、ランガ」

 はぁ、一際大きい息をひとつ吐き出す。暦は、そのままの体制で唇をふるわせた。

「……炊飯器スイッチ入れんの忘れてた~~~~!!」

 ――……重い沈黙が落ちる。

「……え?」

 何それ?冗談だろ?

「冗談じゃ、ねぇ、って」

 大声で喚いてさらに息を枯らした暦が言う。俺の肩に顔をうずめて、あ――、なんてうめきながら額をこすり付けてくる。

「お前が楽しみにしてくれてんのわかってたからさ、先に研いでセットしといたはずだったんだよ。んで風呂も洗ってソース作ってカレー煮て、そろそろかなってさっき見たら全然水でやんの……」

 今急いで炊いてるけどすぐには食えねぇし、慌てすぎてカレーかぶっちまってとりあえず洗面所の籠放り込んできたとこだからこんなカッコで。いきなりビビったよな、それもごめん。
 どうりで暦の身体からおいしそうないい匂いがするはずだ。あと、カレーの染みは乾いたままで籠入れないですぐ叩き洗いした方がいいと思う。……じゃない、暦は帰宅早々の俺に迫ってきてくたわけじゃなかったらしい。俺のどきどきを返して欲しい。
 ていうか、まさか、そんなにショック受けたみたいに謝ってくること?暦の中の俺ってそんなに食い意地張ってるのかな。そりゃ食べることは好きだけど、今日が楽しみだったのは暦が俺のために用意してくれるものを、暦と一緒に、だからなのに。食べ物だけじゃ意味ないのに。
 暦は全然わかってない。面白くない。俺の肩に置かれたままの暦の頭をさぐる。頬を包んで、俺の正面に持ってくる。

「暦が俺のためにって考えてくれてるだけで嬉しいんだ。全然怒ってないよ。それに、速炊きしてくれてるんだろ」

 暦の頬を撫でながら、額を付けて微笑む。ほっとした風な、ちょっと涙目にすらなってる暦を見る。頬に手を添えたまま、引き寄せる。唇を重ねる。

「……!?」

 頭に腕を回して抱き寄せる。驚いてか薄く開いた唇を割り入って、歯の裏をなぞる。片手で首から背中、腰を撫でおろして、びくっと動いた脚の間に太ももを差し入れる。暦の舌を吸って、捕まえた脚のまま腰を揺らす。くちゅり、わざと音を立てる。
 仕掛けた俺の方がくらくらになりそうな時間が経って、慌てるだけだった琥珀色もどろりと溶け始めて、玄関ドアに付いたままだった手が俺の肩に触れようとしたころ、俺は力の抜け始めた腕で暦を引き剥がした。

「……え?は?」

 その気になった途端に止められた暦は、開いたままの口の端から唾液を垂らした間の抜けた顔をしてる。

「暦、カレーの鍋、火点いてない?」

 カレー被って洗面所に来たまま俺のところに来たなら結構時間経ってそうだけど。そう口にすれば、暦は飛び跳ねるみたいにコンロに走って行く。追いかけようとして、靴すら脱いでなかったことに気が付いた。突然のカベドンに落としたバッグを拾ってから暦を追う。

「暦?」
「消えてた……」

 よかった。半裸のままコンロにすがりつく暦の横で炊飯器が鳴る。ちょうどよかったみたいだ。

「ほら、暦、俺荷物置いて手洗ってくるから。炊き立て食べよ?」

 声を掛ける俺を、暦は恨めしそうに見上げてくる。

「お前……あんだけ煽っといて……」
「でも暦、炊き立てじゃなくなってもそれはそれで落ち込んだだろ」

 だって久しぶりなんだ。今始めてたら食べる気になった時にはどれくらい経ってるかわからない。俺も、きっと暦もお腹はすいてたはずだし。だから早く食べよう? 暦に笑いかける。暦は思い当たるところがあったみたいで、頭をがしがししながらうめく。
 それに暦だって俺を期待させてそうじゃなかったんだから、同じ気持ちを味わえばいいんだ。今その気になった暦をおあずけにしたら、今夜は最初からがっついてくれそうだし。それなら広い場所でゆっくりしたいし。
 やっと立ち上がってコンロに向かった暦が、俺を振り返る。

「……今からプーティン仕上げるから。手洗ってきたら飲み物出して座っとけよ」
「うん」

 上半身に何も着てないままの暦にエプロンを押し付ける。さすがにそのままポテト揚げるのは危なすぎる。複雑そうな顔をする暦に笑いかけて、俺は部屋に向かう。
 着替えて、手を洗うついでにカレーの染み叩き洗いして、それからバスルームにも慣らすもの置いてこようかな。ダイニングに戻ったら一瞬だって離れたくない。

「暦、好きだよ」

 こっそり唇に乗せながら、俺は足を速めた。