You make me Rainbow! -3-

You make me Rainbow

***
 暦の手が作り出すものはどんなものだって楽しい。暦が持ってる好きなもののひとつが、小さな籠だ。暦のお母さんが木を編んで作ったっていうその籠に、暦は花を持ち歩いている。幼い妹たちに生花の飾りをねだられることもあるから、綺麗な状態で落ちているものは拾ってきているらしい。
 花は生き物だ。だから空気がよく通る籠で、でも乾かないように湿らせた布と一緒に入れて持ち歩いて、例えば髪に留められるようなピンやゴム、カチューシャなんかにくくりつける。その作業をするのを俺も何度か見せてもらった。
 ピンク色の小さな花や、鮮やかな赤色の花。今日はどっちが出てくるだろう。籠を下ろした暦の手を覗き込む。出てきたものに、目を見開く。
「ピンクじゃない」
 暦が籠から取り出した白い花を見て、俺は思わず声に出していた。
 この前までは、小さいピンクの花びら――桜が入っていることが多かった。ひとつひとつが小さいから、何枚か並べて花の形にしたり、広い面にちりばめて巻いたりしていた。小さい形のものは押し花っていう水分を抜く加工にも向いているらしい。
 だけど今日籠から出てきたのは、花びらが全部繋がった大きな白い花。初めて見るそれにから目が離せなくなった。浜に座った暦は片手に持ったそれを岩場に肘を付く俺に向けて軽く振る。
「そっか、今まで桜が多かったもんな」
 これは百合ってんだ。暦はそう言った。
「百合」
「ん。桜はもう季節じゃねーからなー。今はこいつらが一番咲いてる」
 暦の言葉で気が付く。そうか、花って季節で咲くものが変わるんだった。考えてみれば、海の温度も太陽の角度も、初めてここに来た時から変わっている。夏に近付いている。暦が使ってる単位で言うと、一か月と少し、だっけ。
「初めて暦に会ってから、そんなに経ってたんだ」
 虹を見せてもらった日のことは、昨日のことみたいに思い出せるのに。
 目を見開いて俺を見る暦に、俺は思ったことが口からこぼれていたことに気付く。暦は百合の花をもてあそびながら目を伏せる。
「俺は、思ったより短いなって思ったけど」
 もっと前からお前といる気がしてた。
 いつもよりちょっと大人しい声で言う暦は、俺に視線を合わせてくれなくて。唇はすこし尖っているように見えて。俺はじっと暦の横顔を見つめて――急に、ほわんと降ってきた。……そっか。
 暦は、ずっと前からって思うくらい、俺といるのを当たり前って思ってくれてるんだ。それから、そう言ってしまったことに照れてるんだ。
 ……なんだかくすぐったい。
「……へへ」
「んだよ。おら、始めんぞ。見るんだろ」
「あ、待って」
 俺に近い岩場に移動する暦に合わせて、俺も手元が覗き込める場所に動く。暦が座る岩の側に肘を付けて、腰から下を海に下ろす。
 暦は前から浜辺で作業していたけど、最近は岩場に来てくれるようになった。俺が気を失って以来、暦は俺が浜に上がるのを許してくれない。自分でも試して耐えられる時間もわかってきたって言ったら余計怒られた。
 一緒にいたいだけなのに。腕の上に頭を倒す。
「それで、百合では何を作るの?桜とは全然大きさが違うよね」
 暦はいくつもの花が入った籠と、針と糸を持っている。
「輪にしてみようかなって。前に赤いのでもやったろ」
「うん、覚えてる。ハイビスカスだろ。俺あの花好きだ」
 目を閉じて赤い花を思い出す。だって、あの鮮やかな赤は暦の色に似てる。ハイビスカスのアクセサリーを身に着けたら、見えるたびに暦とを思い出して元気になれそう。考えるだけで嬉しくなる。
「……ってぇ!」
 急な暦の大きい声に驚いて目を開ける。手を押さえてうずくまる暦の指先には赤い雫。花を縫い付ける途中で針を刺してしまったらしい。
「大丈夫!?えっと、えっと」
 傷は水で洗わなくちゃで、でも海の水じゃダメで、布で血を止めなくちゃで、でも海水で濡らしちゃダメで。俺にできることはどうしてもなくて。
「へーきへーき。舐めときゃ直るから」
 開いた口、厚い唇から覗いた舌が指先の雫を舐め取っていく。その赤色に、どうしてだろう、目を奪われた。
「……なに」
「え」
 舌が、気になった。そう言うのは、なんだかいけない気がして。合わせにくい視線をなんとか暦に合わせる。
「……指に針刺すなんて、珍しいなって思って」
 そう思ってたのも、嘘じゃない。だからそう言った。暦は口元を押さえてあー、と声を出して、今度は暦の方から目を逸らしてしまう。
「……それは、お前がさぁ」
 ハイビスカスの話さぁ。口の中で言う暦の言葉はよく聞こえない。俺、何か変なこと言った?
「……もーいーよ」
 大きく息を吐いて、暦は俺を見る。細められる瞳と、撫でられる頭。濡れた髪が暦の指を濡らす。
「やっぱ、早いとこやっちまうかぁ」
「え?」
 暦は気合いを入れるみたいに深呼吸して、それから俺に向き直った。
「明日から一週間くらいは来るなよ」
「……は?」
 突然告げられた訪問禁止宣言。翻す気はなさそうな、暦の揺るがない瞳。
 ――俺は無言で尾で水を跳ね上げた。

 青空で燃える太陽の光は海の中まできらきらと照らしている。そのきらきらに俺の尾も逸る。
 あれからちゃんと、七日間待った。会いたかったのに我慢した。やっと迎えた今日、そのうえ、いつもは太陽がてっぺんを通り過ぎてから会ってたのに、今日は朝から来ていいって言ったんだ。そんなの早く行きたいに決まってる。
 なんで急にそんなこと言ったのか教えてもらわなきゃ気が済まない。納得行ってないのも本当なのに、朝からだからいつもより長く一緒にいられるのも嬉しい自分もいて、なんだか悔しい。とにかく早く会いたい。水を切るスピードも上がる。自然と口が吊り上がってる気がする。
 いつもの入江の近くの海中、そこに今までになかったものを見つける。今まで気付いてなかったたくさんの世界のきらきらを俺は最近になってから知ったけど、そういうのでもない。間違いなく、今まではなかったはずだ。
 近付いてよく見てみる。柱、って言うんだろうか、前に暦がエアブラシで色をつけていたものに似ている。海中に脚を下ろしたそれは上は水面を貫いて上まで続いている。周りが暗い。光が遮られてるみたいだ。
 少し先を見ると同じような柱は浜の方へ向かって何本も海に刺さっていて、その範囲はずっと暗い。……なんとなく、わかった気がする。
 浅い海底に落ちる光と影の境界を、柱に沿って上を目指す。水面から顔を出してまばたきをする。目の前に広がるいつもの海、空、岩場、鳥。……あれ?
「こっち」
 突然、耳の近くで聞こえた声。濡れた両頬が熱いものに包まれて、ぐいっと後ろを向かされる。勢いに体ごと反対側を向けば、海に届く光と同じくらいにきらきらの赤。
「ひさしぶり」
 もう少しで鼻が触れそうな距離で、暦が微笑んだ。

 薄い木の板を繋げて長く大きな板を作る。海に何本もの柱を刺して、板をその上に乗せる。そうやって木の板を渡せば、その上を歩いて移動することができる。渡した木の板の上に、暦は寝転がっていた。俺の頬を包んでいた手が今度は髪をわしゃわしゃに撫でる。くすぐったくてあったかい。
「びっくりした。これ作ってたから来ちゃダメって言ってたのか?」
「おう。どんな反応するかって思ってさ」
 びっくりしてくれたんなら大成功。暦は額をぶつけて笑ってから身体を起こした。板の端に座って水の中に足を落とす。
「前から考えてたんだ。浜じゃお前が危ねえし、岩場じゃ下手したら俺が落ちるし。ちゃんとした足場で俺が海の方行ければ、もうちょっと近くにいられるだろ」
 この前みたいに手元狂ってもあれだし。暦はごにょごにょ付け加える。
「桟橋って言うんだ」
 聞き覚えがある気がする。やっぱり前にエアブラシで塗っていたものは、これの材料だったみたいだ。俺は暦の膝の近くに肘をつく。暦を見上げる。
 さっきは板の上に転がってたから暦が近かったけど、起き上がって座ってしまったらまた暦が遠くなった。近くでもっと見たかった。ハイビスカスに似た真っ赤な髪、夕焼けにも朝焼けにも似てる明るい瞳。近くで見たら長かったまつげも、触ると少しざらっとしてそうな日に焼けた肌。俺の頬を包んでいた熱い手も。
 もっと近くで、もっとたくさん暦を知りたい。付いた肘で桟橋によじ登ろうとする。
「こら」
 ぺしゃ、暦の手が頭に落ちてくる。暦は俺が身体全部を海の上に上げることを許してくれない。暦は過保護だ。こんなに近くにいられるようになったんだ、何かあったら暦が助けてくれるだろ。
 頭に乗せられた手を押しのけるように、暦の顔を見上げる。太陽の下、赤に混じって、きらりと光を反射する何かが見えた。いつもはなかったもの。
「――耳のあたりに、何かつけてる?」
「ん? ああ、これか。お守り、かな」
 いくつも連なったきらきらのガラス玉、編みこまれた紐や房と一緒に束ねられたそれは、青と白が多く使われている。暦の赤い髪の中でよく目立っている。
「お守り」
「ん。お祭りの衣装の一部だな。とんぼ玉と組み紐」
 髪にくくりつけたそれを外した暦の手が俺の前に差し出されて、顔ごと近付けてそれを見る。落とされたそれを受けとめる。近くで見るとていねいに細工されたものなことがよくわかった。
「お祭りで歌ったり踊ったりする人がこういうの付けんだ。これは踊り子がつけるヤツそのものじゃなくて、見様見真似で妹たちに作っただけのやつだけど」
「なんとなくわかった。こっちにもお祭りはあるし……待って、これも暦が作ったの。作れるの」
 暦がとんぼ玉と呼んだ球体を見つめる。透明な白と空色のグラデーションの中に気泡が散っている。海の色に似たブルーグリーンと波の白がは花びらみたいな模様を描いていて、とても綺麗だ。
 お祭りの装飾となれば、古くから伝わる作り方をしてるだろうことは俺にもわかる。暦がここで色々なものを作ってるのは見て知ってたけど、自分で方法を探してるように見えたのに。
「……ここで色々作ってんのもさ。最初はお祭りの見てスゲーって思ったとこからなんだ」
 ガキの頃、初めて見たのに衝撃受けてさ。綺麗な服と装飾品付けた踊り子が水面で舞うんだ。ガラス玉付けた杖回して、水しぶきあげて。水滴とかガラスが光を反射してすっげーきらきらしてさ。こんな綺麗なもんが世の中にあるのかって思った。
 暦はきらきらした目で宙を見上げる。そのお祭りの舞を思い出してるんだろうか。……踊り子。
「……じゃあ、その時の踊り子……女の子が可愛かったから、色々作るようになったんだ」
 へー。自分の声に温度がないのがわかる。多分目もそうなってる。ぎくりとしたみたいに暦が変な動きをする。
「そういうわけじゃ……なかったとは言い切れねえけど。でも、その杖――祭具とか装飾とか、水がきらきらするのにすごい惹かれて、それを人が手作りしてるって知って。その前からがらくた工作とかは好きだったからさ。そういう職人になりたいって思ったんだ」
 だから中学出てからは家の店手伝いながら工房に弟子入りして勉強させてもらってるし、そうじゃない時にもこうやって練習がてら妹たちにとか土産物とか作ったりしてる。
「ふーん……」
 なんとなく、目を逸らす。身体の奥で何かがぐるぐるしてる気がする。何を思ってるのか、俺自身よくわからない。だけど、どうしてだろう、暦の方を見たくなかった。
 ばしゃん。大きな水音、肩にかかる水しぶきに横を見る。頭への衝撃に思わず目を瞑る。身体に触れた熱に閉じたばかりの目を見開けば、間近にある夕焼け色に俺の青が映っている。
 心臓が、跳ねる。
「――……え」
 熱い指が頬に触れる。手の甲が肌を撫でる。髪が梳かれて、耳元でしゃら、と小さな音がする。離された髪が頬に落ちてくるのと一緒に、固くて冷たい感触。ガラス玉――さっきのお守りだ。
「……俺、踊り子じゃないけど」
 無意識のうちに止めていた息を吐いて最初に口から出たのはそんな言葉だった。至近距離で笑った暦の吐息が当たる。もう一度頬を撫でて離れた暦は、桟橋に置いた腕に顎を乗せて目を伏せる。
「祭具職人に憧れたのも本当なんだけど。練習にって身近なもんから色々作り始めてさ。母さんとか、妹とか、作ったもんで誰かが喜んでくれるのがすげー嬉しかったんだよな。作るの自体も楽しかったし、誰かのためにって考えたらもっと楽しくなる」
 祭具に惹かれたのも、踊り子が楽しそうに舞ってたからだった気がするんだよな。
 流れるように語る暦の声はすごく楽しそうで、声が目に見えたなら太陽みたいに光ってきらきらしてるだろうと思った。そんな暦がすごくかっこよくて、まぶしく見えて。
「……暦はすごいな」
「なんだよそれ」
 吹き出すみたいに暦が言う。本心なのに。どうしてうまく伝わらないんだろう。
「それに、お前」
 暦が腕に置いた顔を倒してこっちを見る。
「お前がさ、俺が作るの楽しそうに見ててくれるし。虹とかがらくた細工とか、霧吹きとか。めちゃくちゃ喜んでくれただろ。だからこう、初心に帰ったっつーかさ。やっぱ俺、俺の作ったもんで誰かが笑ってくれるのすげー好き」
 お前だから余計かな。
 ――俺に笑ってくれる暦の顔を見ていたくないと思うなんて、初めてで。
 腕に顔を伏せる。目に入る木目。桟橋。――橋。暦は虹を空の橋って言った。離れた場所を繋ぐもの。
 どうしてだろう、その言葉を、強く思い出していた。