マシュマロ【A3】

SS

くあざ

定期テストが終わった。開放感に浮かれた年上の友人に引っ張られて――「テストも公演も忙しかったから一緒に遊べるの久しぶり」なんて心底嬉しそうに言われたら折れてやるしかなかった――寄り道して、それでもいつもより早い時間に帰宅した莇たちは、誰もいない談話室で積み重なった箱に迎えられた。何やら「他団員確保用」という付箋が貼ってある。

「なんだろう、これ。莇知ってる?」
「……今朝冬組が話してたやつな気がする」

確か、東が知人に貰ったというマシュマロだ。東が密に買ってくるものとも異なる高級なもので、「劇団の皆さんで」と言ってくれたからには密だけが消費するのは良くないとから、密用は確保したうえで他団員用に残しておいた、というような誉の語りを聞いた気がする。

「じゃあオレたちがちょっと食べてもいいのかな」
「責められはしないんじゃね。甘いもんなら十座さんとかにも確保されてそうだし……何、食いてえの」

兄とは違って甘いもの好きでもないのに珍しい。そう思いながら横を見る。九門は大きく息を吐きながらソファに着く。

「だぁって、ずっっっっっと勉強してたから甘いもの欲しい気分なんだよー」
「ラーメン食って帰ってきてよく言うよな……」

そんな声が聞こえているのかいないのか、箱のひとつを開いた九門は「じゃ、失礼します!」とマシュマロに手を合わせた。ぱんっ、合わせたてのひらが小気味良い音を立てる。莇もソファの隣に座り、箱に入った中袋を開けて手を入れる九門を眺めた。
袋から出てきた少し日に焼けた手がつまむ、弾力のある白。やわらかそうなそれを見て、莇は自分の顔が熱くなったのを感じた。ちょうど今朝、マシュマロの話をしたのを思い出したからだ。
朝のスキンケアの帰り。たまたま一緒になった太一の洗顔を見張ったあと、いつものようにマシュマロの袋を抱えた密とすれ違った時。それを見た太一が、俺も味わってみてぇ~~!なんて呻いたのだ。どうやら昨夜見たという恋愛ドラマにマシュマロが登場したらしい。曰く。
――キスって、あまくてふわふわで、まるでマシュマロみたい。
ドラマのヒロインのだろう、太一が口にしたその台詞が頭にこびりついて、なのに何故か、莇はマシュマロから目が離せなくなった。爪の短い指先につままれたそれが、九門の口元に運ばれる。少し厚い唇とマシュマロがぶつかって、形を変える。やわらかそうで、甘そうで、あれに触れたら――

「……莇?」

弾かれたみたいに目を瞬いた。視線を合わせれば、いつもうるさい金色がどこか気まずそうに莇を見つめている。

「なんか、すっげー見てくるからさ。食べにくいっていうか」

ちょっと照れる。
――顔面が燃えたかと思った。瞬時に九門から視線を逸らし、俯いて顔を隠す。
待て、俺は今何を考えてた?触れたらって、何を見てそう思った?
ぱり、プラ袋の音がして、九門がマシュマロの袋を置いたのがわかった。それからしばらく――多分、九門がマシュマロ一個を咀嚼する時間――経ってから、いつもと違う、甘ったるい声色が莇の鼓膜を揺らした。

「『キスって、あまくてふわふわで、まるでマシュマロみたい』」

赤い顔を隠してたのも忘れて九門を見てしまって、後悔する。金色は声と同じくらい甘ったるい温度を持っていて、まっすぐ捕まった莇は動けなくなった。だって、そんな、まるで、特別な人を見るみたいな。頬がさらに温度を上げそうで。
そう思ったのも束の間、へにゃっといつもの情けない笑顔に崩れて、やっぱり、なんて零す。

「太一さんが言ってたんでしょ。オレも一緒に見てたよ、そのドラマ。十一時過ぎてたから莇は寝てただろうけど」

破廉恥って怒ってるときみたいな顔してるから、そうだと思った。こいつは本当に、無駄なところで役者らしさを発揮してくる。能天気に笑い声をあげる九門に腹が立ってくる。お前、俺がどんだけ、
……どんだけ、なんだよ。そう自問していたから、自分の上にかかる影に気がつかなかった。

「確かめてみる?」

聞こえた声に顔を上げたときには、九門の顔がすぐそこにあった。

「――は」

拳ふたつ分も離れていない距離から鋭い金色が莇を射抜く。目ぇ瞑って、の声に従う前に降ってきたてのひらが莇の目を覆う。
確かめるって、なにを。そんな簡単な言葉も口に出せず、莇は近付いてくる気配を感じることしかできない。

「――……あざみ」

時が止まったみたいだった。少しかすれた声、迫る体温、砂糖菓子の甘い匂い。それらを意識した次の瞬間、唇にやわらかいものが触れた。