あれはいつだったか、天鵝絨町のイベントに駆り出されて、秋組総出で短い芝居をすることになったときだ。いつものようにメンバーのメイクを進める俺に、万里さんが声を掛けてきた。
「莇、俺もう着替えちまって手空いたから手伝うわ。とりあえず兵頭にベースメイクさせてくる。俺もベースは済んでる」
「お、おう」
そう言って俺のメイクポーチから十座さんの肌色のリキッドファンデを引き抜いて行った万里さんに、違和感はあった。いつもは万一にもメイク道具で汚れないように衣装を着るのはメイクをした後だったし、普段から下地くらいなら自分で塗ってくれている(塗り方が下手で俺がやり直すことはしょっちゅうだけど)。だけどそれ以上、ファンデやコンシーラーまでだとしてもやってくれるならありがたいし、万里さんなら出来も心配いらないだろう。そう思って、俺はクソ左京の肌色を整える仕事に戻ることにしたんだ。
左京のメイクに戻る直前、横目で見た万里さんは、十座さんの首元に何かを塗り込んでいた。
それからしばらく後。寮の中で珍しく暇そうにしてる万里さんを捕まえて、ヘアアレンジの練習台をさせてたとき。薄茶色の髪をかき上げると、うなじの上の方、髪の生え際に小さく赤いもの。
「……虫刺され?だいぶ寒くなってきたけど、まだ蚊飛んでんだな」
よく見ると反対側や耳の裏にも点在するそれに触れる。今日は髪型を試すだけで肌はいじらないつもりだったけど、これは髪を上げたら目立ちそうだ。散らばる赤に、一緒に持ってきていたコンシーラーを乗せる。それから顔の輪郭を支えて正面を向かせる。前の鏡に映った万里さんは、なんだかすごい形相をしていた。
「すげー顔してんじゃん」
「……なんでもねえ。つか、髪型だけなら表情は関係ねえだろ。さっさと始めろよ」
万里さんがそう言うならと頷いて、アイロンだのスプレーだのを取り出す。舌打ちと一緒に「ッの大根」と毒づく声が聞こえて、俺はワックスを指先で練りながら、十座さんが窓閉め忘れて寝たんだろうか、なんて考えていた。
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「……んっ」
「はぁっ……莇だいじょうぶ?」
覆いかぶさっていた体温が離れて、隣に落ちてベッドが沈む。何回目かだけど、自分を貫いていた熱が引き抜かれる感覚には慣れられそうにない。まだ気だるい身体を横に転がして、濡れたまま俺を見る金色を見つめる。もっと欲しいって言ってるくせに、気遣う色も本物で、こいつのそういうところが好きだな、と思う。
「莇?」
「……ん、へーき。その、よかった」
たまには素直にそう言ってやれば、感極まったみたいに抱き寄せてくる。汗ばんだ首筋に頬を擦り寄せて、俺からも抱きしめて気付く。背中に、肩に、普通じゃない感触。
「……?」
なんだろう、始まる前に一緒に風呂に入ったときはできものとかもなかったけど。不審に思ってその辺の肌を揉んでみると、抱きしめた男が小さく身じろいだ。
「って、あざみ、あんまさわんないで」
そう言われて身体を離して見てみれば、点線みたいに弧を描いて赤紫になった痕、何かに引っ掛けたように細く赤く付いた傷。怪我だったのか。それを触ってしまったなら良くなかった。悪ぃ、と裸の胸に落とすと、九門は何故か嬉しそうに笑って俺を抱き込んでくる。
「男の勲章っていうじゃん?全然へーき。莇に付けられるのうれしい」
「……え」
満足そうに言われて、最中の自分を思い返す。好き勝手に揺さぶられる中いっぱいいっぱいで自分が何したかなんて覚えてない。でも、広い背中に絡みついて爪を立ててたかもしれないし、頭を掻き抱いて首筋に噛み付いた気もする。そうだ、風呂場で何もなかったんだから、いつ付いた傷だって考えたら今ここで以外にありえない。
冷めきっていなかった顔が熱くなるのがわかる。こんなのにも気付かないくらい、俺は。
「……悪い、痛い思いさせて。服で隠れないとこはあとでメイクで潰してやる」
「えー、うれしいって言ってるじゃん。昼間も見てにやにやしたいのに」
「やめろ」
頭の中でベース用品の在庫を引っ張り出す。首じゃ顔とは色が違うけど持ってるの混ぜれば馴染むはず。
――不意に、頭に浮かんだものがあった。いつかの十座さんの首に何かを塗り込んでいた万里さん。その頃の俺は知らなかったけど、その時からあの二人はそういう仲だったらしい。ってことは、あれって。
それから、ふと思い至る。そんなの、逆もあり得るに決まってる。
「……もしかして、この胸元の赤いのお前か」
いつからか気付いたらできてる赤いもの。これだって風呂に入ったときにはなかった。どうして今まで気付かなかったんだろう。
胸板から顔を上げて睨めば、九門は浮かれた様相を少し驚いたように歪めた。
「え、キスマーク気付いてなかった?……ごめん、オレのって印みたいで嬉しくなっちゃっていっぱい付けちゃった。莇肌白いから綺麗に赤くなるし」
「だからって……!」
絶対に言ってはやらないが、正直なところ独占欲をぶつけられるのは悪い気はしない。でも肌にだって良くないし、恥ずかしくて開いた丸襟なんて着られなくなる。毒づけば、浮かれ野郎はにやけ顔を隠しもせずに宣う。
「いいじゃん、莇襟付いたシャツも似合うんだしさ。莇の鎖骨えっちだから、オレにだけ見せて」
懲りもせずまた吸い付いて来ようとする頭を殴りつける。そんなん知るか。それこそメイクで隠せるんだ、着たいもん制限されてたまるか。
兄貴分たちのことを思い出していた脳の端が、他の記憶を引っ張り出してくる。万里さんが十座さんに毒づいていた、季節外れの虫刺され。それがあったのは自分じゃ見えない、耳の後ろや襟足、髪の生え際だ。
「……お前、俺のうなじとかに痕付けてねえだろうな」
「えっ」
その声色は「ばれた」と言っている。胸元のは「気付いてなかった?」なんて言ってたけど、こっちの反応はばれなければいいと思ってたってことだ。
普段はハーフアップの団子にしてることが多いけど、服や気温に合わせて髪型は変える。当然ひとつ括りにしてたこともある。そうやって首筋を出してた日に、こいつが痕を付けてたとしたら。
「……もうお前としねえ……!」
俺を抱き込む腕から逃れる。ベッドの端に追いやられていたタオルケットを身体に巻き付けて、拒絶するように背を向けて丸まる。そんなぁ、と情けない声が背中越しに聞こえる。
「ごめんってば、そんなこと言わないでよ!」
「うるせえ!少しは反省しろ!」
「絶対見えないとこにちょっとだけにするから~!」
「反省する気ねえだろ!?」
それからしばらくさせなかったあと、「絶対見えないとこにちょっとだけ」には折れてやることにしたけど。
それが内股のきわどいところで、一箇所だけだからと長く吸われて舐められる間に前も後ろも一緒に攻められることになるなんて、このときの俺は思いもしなかったんだ。
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ベース
くあざのまえにひょせが成立してる世界で首の赤いのとか背中の傷とかを隠してやってたけど何もわかってなかったあ~、のちにベッドで立ち上がれない状態で立ち上がったきゅの背中を眺めて最中を思い出しながらすべてを理解して真っ赤になって布団にもぐっちゃう
— むかひ🍁10月中低浮上 (@ssmp0227) July 8, 2023