Because I love you(3) -Monday,7th,February-

Becaue I love you

 日本にいるスケーターは、競技人口で四千人くらい、愛好家で数えると百万人近くになるらしい。人口の約八パーセント、クラスに二、三人の計算とすると、想像より多い。高校では俺とランガ以外のスケーターは知らなかったけど、ボードを持ってるだけくらいのヤツはいたのかもしれない。
 狭い島国だけでその人数なんだから、本場のアメリカは当然もっといるだろうし、世界中で数えたらどれくらいの数になるのか想像がつかない。そりゃ、こんな数にもなるよなあ。#skateboradのハッシュタグに並ぶ膨大な投稿を流し見ながら、口の中の飴を転がす。
 十数秒からの動画が投稿されるSNSには、派手なトリックをメイクするものからオーリーを失敗するものまで、本当に色々なスケート動画が溢れている。俺も高校のころからたまに投稿しているけど、いわゆる「バズッた」みたいな経験はない。こんな中じゃあよっぽどの物じゃないと埋もれてしまうだろう。もちろん、このSNSに限らない。多少客層が違えど、大半が埋もれるのはどこだって変わらないはずだ。
 ってことは、やっぱすげえんだよなぁ。黒い音符アイコンのSNSから赤い再生アイコンの動画アプリに切り替える。開くのは近所のパークのチャンネルだ。先週ごくローカルな大会を開いたそのパークは、たった十人足らずの参加者のスケート動画を一人一人アップしている。その中に、ずば抜けて再生数もコメント数も多いのが一人。それは、俺にとっては見慣れた、
「暦……」
 飴が喉に詰まるところだった。今俺に死にそうな声を掛けてきた、目の前でそれはもう情けない顔をしているそいつは、今まさに再生しようとしてたかっこいい動画の人物だ。
「おかえり。お疲れさん」
 画面を消したスマホをポケットに仕舞いながら、いつものように拳を突き出してやる。下がり切っていた眉が笑みの形を描き、拳がぶつけられる。無限大を形作ってから、俺は少しだけ自分より高い頭をなでてやった。
 店勤めの休みは平日が基本だ。平日のほとんどに授業を入れてるランガとは当然重ならない事の方が多い。それでも都合が合う時くらいは少しでも一緒にいたいから、休みの俺が授業終わりのランガを大学近くまで迎えに行く事もあった。今日も俺は大学の門の前で待ち伏せて、最近格闘していたいくつもの学年末のレポートから解放されたランガを出迎えていた。春休みに入るのは来週からだけど、まとめて終わった日くらいはパーっと遊ぼうと先週から話してたんだ。
 二月の頭、つまりはランガの誕生日も近い。一緒に暮らし始めて初めての、二十歳の節目を迎える日。大事なヤツのために、なんか特別な事してやりたいとも思ってる。何か糸口が掴めるといいのだが。
 頭から離そうとした俺の手を掴んだランガは、でもなんだかもどかしい顔をした後で俺の手を開放した。うう、と唸る表情は、目元が少し赤い。
「今そういうのやめて……ハグしたくなる……」
 さすがに往来で抱き着くのは我慢した、という事らしい。相変わらず俺にされたい事にも素直なランガを可愛いヤツだなあと思いつつ、俺ははたと気が付いた。あれ、俺、往来で頭撫でてた?
「暦、俺滑りたい」
 あとから恥ずかしくなってる俺の肩を掴んで揺さぶりながらランガが言う。目がらんらんとしている。レポートが相当ストレスだったらしい。
「つっても、お前それこそレポート疲れしてるだろ?怪我すんぞ」
「疲れてるけどそれより滑れてなかった方が嫌だ……跳びたい……」
「跳びたいて」
 ただ滑るより全然危ねーじゃねーか。口にしようとした言葉を飲み込む。だって、こういう時のこいつが強引な事は身を持って知っている。
「……その『跳びたい』いつものランプじゃ足りねーだろ。あっちのバーチカルあるとこだな。電車乗るぞ」
 途端にぱあっと明るい表情になったランガが何度も頷く。尻尾を振っているのが見えるようだ。こういう時のランガは本当にわかりやすくて可愛い。鼻歌でも歌い出しそうなランガと並んで駅へと歩き出す。
 バーチカルランプのあるでかいパークへもスケートでならすぐだけど、東京は基本的に人通りが多い。沖縄でも警察に追いかけられるのはしょっちゅうだったけど、こっちの公道を滑るのはリスクの方が大きかった。
 閉まったドアの前、シートとの角に並んで寄りかかって電車に揺れらる。肩の触れあう距離、身体の横に下ろしたままの手の甲同士がぶつかる。でかいパークと言えば行くのはいつもそこだから、自宅とも大学とも職場とも繋がらないこの路線も慣れたものだ。まだ帰宅ラッシュにはならない夕方の早い時間、人がまばらな電車内をなんともなしに眺める。……あ、あの人のシャツ、サーフブランドの新作だっけ。あとでチェックしとこ。あっちの……
「暦」
 ランガに肘で小突かれる。俺はいつの間にか人間観察に集中していたらしい。何、と言外に含めながらすぐ近くの青を見つめると無言でスマホを傾けてきた。何やらわからないが覗き込む。
「……ニューヨークの大会?」
 画面に表示されていたのはメッセージアプリ。相手はランガのバイト先のスケートショップの所属スケーターだ。ランガのバイトしてるショップは姉妹店の中でもスケーターのサポートを掲げている店で、国内外の大会で結果を残しているスケーターが何人も籍を置いている。メッセージの主、小畑さんもその一人だ。
「これ、お前に出てみないかって言ってんだよな?」
「そうみたい。確かに日本じゃあんまりパークできないし」
 スケートの競技大会にはいくつかの種類がある。一番メジャーなのが階段やスロープ、ポールなど、街を模したコースの「ストリート」。俺もこれには出た事があった。大会初心者にしてはなかなかの順位にいけたと自負している。他にはフラットな正方形のフィールドの中でトリックの出来を競う「フリースタイル」。ミヤが選手やってるのはこれだ。それから、広く空いたプールみたいな窪みを使う「パーク」。派手な空中技で魅せられるパークが、ランガは特に楽しいみたいだった。
「まぁ設備自体少ないもんな。しっかしパークだからとはいえいきなり海外なんて。期待されてんだなー……そりゃそうか。お前みたいに綺麗なエアー、いろんな大会動画見てても見たことねえし」
 トップの国際大会を見れば、そりゃあいろんなスケーターがいる。クレイジーロックで見ていたのより高難度なトリックをキメるスケーターもたくさんいるし、そうじゃなくたって、その人らしさを持ってる人だってたくさんいる。――それでも、俺は断言できる。あの日見た、雪舞うみたいなエアー以上に惹かれるものなんてない。あの日から、俺の中の雪は降りやまない。
「で、出んの?」
「ちょっと興味あるかな。暦は出ないの?」
 ランガが首を傾げる。この野郎、軽く言いやがって。
「誘われてんのお前だろ。俺は……大会出るならストレートもうちょい攻めたい。国内から」
 人口が一番多いから一番大変なのはそうなんだけど。スケート、って言ったら街でトリックをキメるのが一番だと思うし、競技でもそれに近いのをやりたいと思う。
「暦ならそう言うと思った」
 そう言う表情はやわらかい。そんな表情は、俺の事を考えてるからだって言う。
「でも見には来てくれるだろ?都合付けば暦も連れてってくれるって」
 再び視線を落とした画面に白い指を滑らせながら言う。そりゃあそんなもん。
「ランガの雄姿を俺が見ないわけにいかないだろ。いつ?」
「来月後半」
 三月末、春休み時期だ。暖かくなってくる、新学年直前の季節。どの理由を取っても、スケートを始めるには絶好の季節だ。
 という事は、ショップは多分ちょっと忙しい。それくらいはドープのバイトでも身に染みてる。でも、アメリカとなると最低でも連休にしたいところだ。
「……今から相談すれば大丈夫だろ。行く」
「ほんと!?」
 暦とアメリカ、はしゃぐランガは花が飛んでるんじゃないかってくらい嬉しそうだ。おーい、観光行くんじゃねーだろ。
「でも買い物くらいはするだろ。俺もニューヨークは初めてだから楽しみ。初めてが暦と一緒で嬉しい」
 俺にしか見せないと知ってる笑顔でそんな事を言うから、ぐっと息を詰めてしまう。またお前は可愛い事をする。
「北米の英語圏だし、英語に自信なかったら俺に任せて」
「おー。今回は頼むわ」
 海外の大会動画をなんとなく見られる程度には聞くのと読むのはできるけど、自分が話すとなったら話は別だ。ランガと一緒にいるようになってから発音に突っ込まれる事も増えて、ちょっとはマシになったと思うし、いつかのために勉強も始めているけど、さすがに来月までにはどうにもなりそうにない。
「カナダとかLA行くまでには暦も頑張ってね」
「……」
「暦?」
 押し黙った俺にランガが不思議そうに首を傾げる。ランガの育った街と、スケートの聖地。もちろんどっちも、いつか一緒に行けたらって話してたところだ。同時に、親父さんに挨拶したいとか、ハネムーンで行きたいって話もしてた場所なわけで。
「……おう」
 こいつはどっちのつもりで言ってるんだろうか。
「……ともかく、大会頑張れよ」
「ああ」
 拳をぶつける。輪にした指を触れさせ合う。目を合わせて笑う。
「俺もそのうち海外のストリート出るからな」
「楽しみにしてる」

 パークまでは駅から歩いて少し。大学を出た時には茜色だった空は、今はすっかり暗くなっている。バーチカルランプの使用受付に向かうランガを見送って、併設店舗の新入荷棚を眺める。一番目立つのは有名スケーターの新作シグネチャーデッキだ。ブランドにスポンサードされて広告塔になるだけじゃなく、トップブランドから自分モデルのデッキを出せれば、それはもうプロの中でもトップ中のトップだ。そんなスケーターはほんの一握り。日本人だと片手で足りたはず。
「この人で三つ目かー……」
 デッキのグラフィティとスケーターのスタイルを結び付けて考えてみる。あとでデザイナー記事探してみよ。――なんて、考えてた時だった。
 ぽふ、脚に軽い衝撃。見下ろせば、小さな身体が俺の脚に抱き着いている。じっと俺を見つめる大きな瞳の持ち主は、幼稚園児くらいだろうか。実家の双子と同い年くらいに見える。
 時間にして、二十秒くらい経っただろうか。にらめっこを続けていたちびっこの口からこぼれた言葉は。
「れき」
「へ?」
 聞き間違いでなければ、俺の名前で。
「今、なんて……」
「あ、レキくん」
 足元を見下ろす俺の正面に聞こえたのは、今度は若い女の声だ。聞き覚えのあるそれにちびの頭に手を置きながら顔を上げる。長い黒髪の清楚系美人の彼女は、うちの店に調整とかを頼んでくれてる常連スケーターの一人だ。歳は聞いたことないけど、多分俺より少し年上くらい。
「ちわす。びっくりしました、こんなとこで会うなんて」
 そうは言ってもこの辺で一番でかいスケートパークだ。近くに住んでて来た事がないスケーターの方が少ないだろう。
「あ、じゃあこのちびが前に言ってた――」
「そうなの。レキくんの動画も参考にさせて貰ってる」
 この流れで出て来る俺の動画というと、SNSに上げてるちびっこ初心者向けのハウツーだろう。千日と七日に教えたのをまとめなおした自分用の記録を兼ねたものだけど、誰かの役に立ててたんだろうか。
「んなハウツー動画くらいいくらでもあんのに」
 謙遜も含めてそう言うと、彼女は口元に手を当てて笑う。少しつりあがった目が、笑うとやさしい印象になる。
「この前店で話した時に見せてくれたデザインも良かったし、調整も丁寧だし。スクールも手伝ってるんでしょ?そのうちこの子が通う事になったらよろしくね」
「うす。あざます」
 ちびは俺の脚から離れて彼女にくっついている。頭を撫でられて嬉しそうな顔。そういう顔されると甘やかしたくなるのは俺もよく知っている。
「スケートしてるレキくんはすごく楽しそうだから安心できるっていうか」
「わかります」
 突然、背後から耳元に落とされる、妙に気合の入った声。誰のものかなんて考えるまでもない。俺が振り向くより先に、長い腕が俺の腰に回される。え、なんなのお前。
「ラン、」
「あら、」
 相棒の急な行動に振り返ると同時、話していた彼女も声を上げる。口元に手を当てて浮かんだ笑いを隠そうとしているみたいだ。
「話しこんじゃってごめんね。滑りに来たんだよね。それじゃあレキくん、また」
 ちびを両腕で抱え上げて店を出ていくまで彼女を見送ってから傍らを見れば、ランガが口を開く。
「……誰、今の」
「誰って、うちの店の常連さん。さっきの反応からしたらお前の事も知ってたんじゃね?」
 大会でもそれなりにいい成績残してるし、俺の動画にも写ってるし。
「……ふーん」
 ランガはなんか納得がいかなそうな声を出す。しかしまぁ、店の中に突っ立ったままでは時間がもったいない。
「で、滑りに行くんだろ?」
 そう言ってランプに行くのを促すも、俺の腰に回した手はそのままに、さらに顎を肩に乗せてくる。
「なんだよ」
「牽制。最初に暦を見付けたのは俺だから」
「誰もとりゃしねえよお前じゃあるまいし……」
「でも今の人暦の好みそうな美人だった……」
「あのなぁ」
 息をひとつ吐き出す。自分がされているのと同じようにランガの腰に手を回して軽く叩く。促されてやっと歩き出したランガに頷きながら続ける。
「一緒にいたちび。あの人の息子さんだから」
「え」
 彼女が実際何歳なのかは知らないけど、子供の父親もスケーターらしく、店では惚気話も聞かされた事がある。どうこうなろうだなんて、欠片も考えた事はない。
「つーか俺もベタ惚れな相手、いるんですけど」
 知らないなんて言わせねーぞ。
 するり、回した手で腰を撫でおろすと、ぴくり、と微かに震える身体。余計な心配にも程がある。彼女の惚気にお返しした俺の惚気を聞かせてやりたいくらいだ。……いや、やっぱ本人に聞かれたくはねーわ。
「な」
「……うん」
 相棒のご機嫌は直ったらしい。よし、声を上げて身体を離す。ランプまで歩みを速める。
「動画見てくれてたってのも店で付き合いがあるからってだけだろうし」
「暦の動画は楽しいよ?」
 ランガは心底何を言ってるんだという目で見てくる。多分褒められてるはずなのに、馬鹿なの?とでも言われているようだ。ランガは今度はふんわりと目元を緩める。
「暦のすごいところが他の人にも認められてるのは俺も嬉しい。俺の自慢の暦だ」
「……」
 だから、お前はさぁ。
「ねえ暦」
「何だよ」
 ランガの方を見られないままで返す。見えてないままでも、多分少し首を傾げているのを空気で感じる。
「クレイジーロックでもだったけど、俺って目立つ?」
「お前な……」
 がくり、肩が落ちる。お前さ、それ聞く人によっては嫌味だぞ。
「目立つよ」
 俺なんかより、ずっと。
「だってさ、お前のスケートスゲーもん」
「うん」
 無頓着から出た質問だと思ったけど、それにしては肯定する言葉が返ってくる。どういう事だと顔を見れば、ランガは嬉しそうにはにかんでいて。
「今のは暦にそう言って欲しくて言った」
 目元を押さえて上を向く。ほんとにもうこいつは一体どうしてくれようか。俺の親友がこんなに可愛い。
「そんなんいくらでも言ってやるっつーの」
 頬を両手で挟んで、目をまっすぐ見て言ってやる。満足そうに、俺に言われて嬉しいってきらめく青を見られるなら、俺はなんでもしてやれてしまいそうだ。
「お前はスゲーよ」
 そう、お前はスゲーヤツなんだよ。
 ほんの少しの苦さは、喉の奥に流し込んで。

「よし、さっさと滑りに行くぞ。帰ったら動画やるだろ?それ用に録っててやるから。あんま時間ねえし、滑るだけ滑ったら食材買って帰るか」
「暦、俺暦のチャンプルー食べたい」
「何のだよ」