Cast a spell on Acting 1

Cast a spell on Acting

 楽しみだな、今度の公演!兄ちゃんはもちろんだけど、莇とも一緒にやれるなんて!
 でも俺ら一緒に出るシーン全員のとこしかねーじゃん。確かに同じグループだけど、一緒な感じしねーっつーか
 あ!じゃあさ、このあと二人で出会ったらって考えてみようよ!台本にない状況でどういう行動するか考えるのも役を深掘りする役作りにもなるしさ!
 ……別にいーけど。で、どういう状況なんだよ
 えーっと……
 思いつかねえのかよ
 でも!仲良くはなれると思うんだよね。二人共末っ子だし、なんていうか、曲者、って感じのキャラじゃん?腹の探り合いとかしたら絶対面白そう
 仲良くなれんのかそれ…… そんな頭良さそうな役、お前できんの?
 頑張るよ!じゃあオレちょっとやってみるから続けてね。まずは――

***
 莇が朝食に起き出したのは、平日よりずっと遅い時間だった。
 もともと早起きは得意と言えるほどではない。学校に行くのが億劫というほどではないが、予定のない日は布団に包まっていたいと思うこともある。寒い季節の、今日みたいに特に気温の低い日なんかは。
 寮は快適だけれど、部屋を出たら必ず外を通らなければならないのが厄介だ。首まで埋まる上着を着込み、ポケットに手を突っ込みながら談話室へと足を踏み入れる。休日の朝にしては静かで、臣がキッチンに立っているだけだった。はよ、と莇から声を掛ければ、臣は食器を片付けていた視線を莇に向けておはよう、と微笑む。

「卵とベーコンレタスのサンドイッチなら作ってあるが、それでいいか?」
「ありがと、もらう。他の奴らは?」
「いつも遅い人以外は、だいたいは起きてきたんじゃないか?夏組はちょっと前にみんなで出掛けたよ。クリスマスマーケットって言ってたかな」
「この寒いのに元気だよな……」

 サンドイッチの皿を受け取りながら、冷蔵庫横の棚から紙パックを取り出す。万里が自分用に入れているものではない、寮のストックとしてまとめ買いしている豆乳は時々変わり種になるが、莇が手に取ったそれにはフルーツミックスと書かれている。また誰かいちごの買ってこねえかな、胸の内だけで思いながら莇はテーブルの椅子を引いた。
 サンドイッチにかぶりついた時、付けっぱなしになっていたテレビから聞き終えのある声が聞こえる。そちらに視線を向ければ、画面の中では夏組リーダー皇天馬が、今夜放送のスペシャルドラマの告知をしていた。

「今夜か。また賑やかになりそうだな」
「九時なら間に合うか……あ、俺帰りそれくらいになるかも。遅くなったら食わねーかもだし、明日にも食えるもんにしといてくれると助かる」
「わかった。寒い季節だからな、何も食べないで寝るのも良くないし、スープだけでも食べられるようにしておくよ」

 ドラマのカット映像が流れ終え、天馬のインタビューが始まっている。最近の活動について尋ねられ、未来の世界的俳優の口はMANKAIカンパニーの名前を紡いだ。
『去年北海道の劇場でやらせてもらった公演のスピンオフをやることになった。劇団員を普段の公演をやっているぼとは別の四組に分けていて、オレの出番は最後だが、前の三組も合わせてチェックしてくれたら嬉しい』
 詳しくはこちら、と公演の概要とMANKAIカンパニーのwebサイトアドレスが表示される。簡単にでもテレビで取り上げてもらえるのはありがたいことだ。

「これも結構前に決まったけど、もう来月か。ウヌスの稽古、もう始まってんの?」

 北海道でやった公演こと「ニヒルの祝祭」で、丞とのダブルキャストでウヌス国の第一王子を演じた臣に問う。今回の公演は国の数字通りウヌス国、デュオ国、トレス国、クアトル国の順だから、莇の出番は天馬と同じく最後だ。

「公演は一月の下旬からだからな。脚本は上がってるけど稽古はこれからだ。莇は脚本もらってないのか?」

 いつもならメイクプランも考えてるころだろ。臣の問いに、莇は首を横に振る。

「もらってねえ。一度やってる公演だからメイクプランはほとんどできてるしな。場当たりのあとMANKAI劇場の照明見て調整するくらい」
「なるほどな。それじゃあ、実際に見るまで楽しみにしててくれ。……あ、」

 臣の視線が動くのにつられて、莇も談話室のドアを見る。音もなくそこに立つ、背の高い人影。

「臣、どれくらいで出られそう?」

 顔を出したのは千景だった。既に出掛けられそうな服装で、コートを手に持っている。テーブルの莇を見ておはよ、と声を掛けてくるのに豆乳を飲みながら応じる。

「朝飯はみんなの分終わったんで、今から着替えてきます。すみません、待たせちまって」
「ちゃんと時間決めてたわけじゃないしね。大丈夫、急がないで。じゃあ、コーヒーでも飲んで待ってようかな」
「お湯なら沸いてますよ」

 いくつかのサンドイッチを乗せたトレーに布を掛けて、臣はキッチンを出る。入れ替わりにキッチンに入った千景は食器棚からマグカップとドリッパーを取り出した。自分に注がれる視線に気付いてか、莇に向かって瓶を傾ける。

「飲む?」
「いや、いい。……どっか行くの。臣さんとってことは、なんか辛い料理?」
「まぁ当たり、かな」

 熱湯を注いだ黒い液体が落ちるのを待ちながら、肘をついた千景が莇を見つめる。目が合って数秒、焦らすみたいに口の端を上げた千景は、さらに数秒経ってから口を開いた。

「答えはスパイスフェス。別件で出掛けてる監督さんとガイさんも現地で合流する予定なんだ。いいものがあったら色々買ってくるつもりだから、晩ご飯に出るの楽しみにしてて」
「監督がスパイス買い込んでくるとかカレー続きそうで不安しかねーんだけど」
「臣も色々覚えてくるだろうから大丈夫だよ。俺おすすめの激辛も含めてね」
「全然大丈夫じゃねー……」

 千景は湯気が立つカップを手に、莇の向かいに座る。コーヒーを一口飲んで、それにしても、と話し出した。

「今に始まったことじゃないけど、臣の料理への情熱はすごいよね。俺も仕事しながら芝居するのは大変だって思うことあるけど、臣は仕事と芝居しながら趣味が料理だもんな」
「それで言うなら千景さんもじゃねーの。なんかたまに物騒だし」
「なんのことかな?」

 そう言って笑みを深めるから、追及はしないことにする。

「今日も休日出勤してる茅ケ崎もよくやってると思うけど、ちゃんと寝てるだけ臣の方が偉いかな。……美容番長さんは、その辺りどう思う?」
「その二人の比較なら、確かにそう。さっき天馬さんがテレビ出てたけど、あの人も忙しいなりにちゃんとケアできてるんだよな、さすがっつーか。……アンタも時々あんま寝てねーことあるだろ、それこそ出張とか。ウヌス始まったらデュオもすぐなんだから、今のうちから気をつけろよ」
「仰せのままに」

 仰々しく頭を下げる千景は胡散臭いけど、芝居に対して誠実なのは知っているので見逃してやる。それにしても、千景がつぶやく。

「スピンオフももうすぐか」

 楽しみだね。そう言う声色に嘘は見えなかったから。莇はサンドイッチの最後のかけらをフルーツ豆乳で流し込みながら頷いた。

 駅を出ると、街はイルミネーションに彩られていた。こんなに賑やかだったっけ、と考えてから、いつもより遅い時間だということに気付く。いつも通る時間のあとから点灯するものもあるのかもしれない。
 そういや夏組はクリスマスマーケット行ってるんだったか、帰ったらまた談話室が騒がしいんだろうな。悪くないその空間を想像しながら寮への帰路を歩いていた莇は、前の方に見知った影を見付けた。この二人が軽装で天鵝絨町を歩いているとなれば、おそらくはストリートACTをしていたんだろう。もうとっくに日の落ちた暗い時間だけれど、この二人を始めこの街の人間は誰も彼も芝居が好きなのだ。

「紬さん、丞さん」

 後ろから声を掛ければ、振り向いた二人は莇を見て目元を緩ませた。おかえり、と微笑む紬にただいま、と返す。まだ寮でもないのにこんなやり取りをするのが少しだけむずがゆかった。

「一人か?今日は遅かったんだな」

 一人か、とはいつも誰かと一緒にいると思われているのだろうか。浮かんだ誰かの影を振り払いながら、お疲れ、と労ってくれる丞に応える。

「ん、バイトの面接……っつーか、簡単な実技試験?」

 バイト、と少し驚いた様子の二人に頷く。莇がバイトしようとしているのは、ショッピングモールの二階に入っているフォトスタジオだ。劇団に入ったころに関わった天美のファッションショーをはじめ、メイク関連の仕事は単発の者ならいくつか関わったことはあるし、劇団の仕事の舞台メイクは基本的に任せてもらっている。だけど、劇団の活動の他にも定期的なメイクの仕事をしたくなって、いつだか名詞をくれたプロのヘアメイク伝いに紹介してもらっったのがそのフォトスタジオだった。

「実技試験って、経験は十分だろう。必要ないんじゃないか?」

 丞の言葉に紬も頷く。ありがてえことに経験は積ませてもらってるけど。莇は首を傾ける。

「そうは言ってもうちの劇団じゃ基本男相手の舞台メイクだからな……監督が友達の…………け、結婚式に行ったときとかにやらせてもらったのに近いけど、やっぱ結構違ぇ」

「でも、合格だったんでしょう?」

 嬉しそうな顔してる。そう指摘されて、口元を押さえる。そんなにわかりやすく浮かれてたか。

「……ん。試験っつーか、セルフメイク軽く落とすところからやって、服装とか行く場所の資料に合わせてメイクして、っていうのだったんだけど。いい腕だって褒められた。もうちょっと前だったら七五三の繁忙期に駆り出せたのにって」
「もう十二月だから少し遅かったね。でも、じゃあ……」
「……紬」

 何かを言い出そうとした紬を、途中から黙っていた丞が遮った。口元に手を当て、何か思いついたように少し目を見開いている。

「さっきの警官と泥棒のエチュードなんだが、あそこはこういうアプローチもあったんじゃないか」

 すっと息を吸った丞は一瞬で世界観を作り上げ、よく通る低い声が周りをその芝居に引き込んだ。大げさな動きこそなかったが、丞の演技は声だけでも人を惹き付ける魅力がある。それは技術はもちろん、彼が演劇を愛していると知っているからこそ感じるものでもあった。

「……どうだ?」
「丞……」

 幼馴染の演技を見た紬はしばらく言葉をなくしていたけれど、やがて両手を握り締めて詰め寄った。

「良い……すっごくいいよ!じゃあ俺はそういう受け方をすれば面白かったかな」
「それも手か……俺はお前がこう来るんじゃないかと思っだんだが」
「あっそれも俺好きそう……でもだったら丞はああいうのもやりたいんじゃない?」

 白熱する演劇馬鹿同士の会話に、莇はふっと笑みをこぼす。それが聞こえたのか、はっとした紬が莇を振り返り、申し訳なさそうに眉を下げた。

「ごめんね、さっきまでストリートACTしてたから余韻が抜けきってなくて。莇くんのバイトの話だったよね」
「いーって、別に。紬さんたちが演劇馬鹿なのはいつものことだろ。そういうの見てるの、嫌いじゃねーし」

 むしろ、好きなのかもしれない。そう素直に思えるようになったのは、いつからだっただろうか。

「今の聞いてると、こういう設定?なら、俺がこんな風に入ったら、丞さんが言ってた方で広げられんじゃね。紬さんが言ってたこっちにそうしてもいいけど」

 莇がそう口を出すと、冬組リーダーとその幼馴染は顔を見合わせる。それから。

「……面白そうだな」
「今からやって行っちゃおうか、三人で!」

 思った通りの反応をする二人に、莇はくすぐったそうに頷いた。

「あ、そういや天馬さんのドラマ九時からだって」
「誰か録ってるだろうけど生放送逃すのも惜しいね……」
「まだ時間あるし、少しなら大丈夫だろ」

***
 MANKAIカンパニーの次の予定は、「ニヒルの祝祭」のスピンオフ公演だった。北海道のノウェム・レガリア劇場で約一週間に渡って行われた公演は、イマーシブシアターという特性上、動画配信が難しかった。MANKAI劇場から距離がある場所での短期間の公演では、普段MANKAI劇場に通ってくれているファンにも観劇を断念した人が多かったようで、再演を希望する問い合わせが多く寄せられていた。
 とは言ってもノウェム・レガリア劇場の円形ステージを活かしたイマーシブシアターだ。MANKAI劇場では再現が困難なことや、ダブルキャスト公演という劇団員全員のスケジュールを合わせる都合などいくつかの事情から各国ごとにスポットを当てた四編のスピンオフ公演を行うことになった。
 ウヌス国の公演が一月下旬に始まり、デュオ国、トレス国、クアトル国と続き、五月の終わりで一周する予定だ。ノウェム・レガリア劇場の公演で過去公演の衣装をアレンジして使い、そのあとはそのまま置いてもらっていたが、それも借りられることになった。ウヌス国の衣装が届いたのは、公演を一か月後に控え、稽古に入ろうとするころだった。

「ってわけだから、とりあえず合わせて。サイズ変わってたら調整するから」

 MANKAIカンパニーの衣装係・瑠璃川幸がレッスン室に現れたのは午後一番、秋組の稽古が始まろうとしている時だった。
 数か月先までスピンオフの予定が入り、いつもの各組公演はしばらく予定されていないが、スピンオフ公演の稽古が本格化するまでは基礎稽古は組ごとに行うことになっていた。衣装が届いたその日は春組と秋組がレッスン室を使っていて、ウヌス国は六人中四人が秋組なのでちょうどいいと衣装のサイズを見るために持ってきたのだった。

「そんなもん稽古のあとでもいいだろうが……」

 床に座って幸の説明を受けた左京がぼやいた。幸は不満そうな劇団の経理担当を横目で睨む。

「は?本番ならともかく、必要ないのに汗かいた身体で着せるわけないでしょ。クアトルの二人が暇なのはわかるけど、そこらへんで親子喧嘩でもしてて」
「おい」

 物申したそうな左京と莇を無視して幸が廊下に向かって声を掛けると、待機していたらしい丞が大きな段ボールを運んできた。「ジークフリート:臣」と書かれた段ボールをレッスン室の中央に置くと、丞は無言で廊下に戻ろうとする。あと何箱かの段ボールを運んでくることに気付き、手伝おうと走って追いかけた太一は、後ろから幸に首根っこを捉まれた。ぐえ、と締まった声がする。

「汗かくなっつってんでしょ。いいんだよ、運ばせとけば。筋肉付けたのが悪いんだから」
「あ、そういう罰だったんスね……」

 秋組メンバー分の四つの段ボールを運び終えると、丞は頑張れよ、と言い残してレッスン室を後にした。今からサイズ変えないでよ、と叫んだ幸は秋組に向き直る。

「じゃあ、着てみて」
「へーい」「おう」「わかったッス!」「ああ」

 四人はそれぞれに返事をして、自分の名前が書かれた段ボールに手を伸ばす。その様子を腕を組んで眺める幸に、莇はふと声を掛けた。

「九門は?」

 もう一人のウヌス国の王子役について聞いてみる。幸はああ、と軽く応じる。

「丞に着せてるときに会ったから合わせてみろって言ったら喜んで持ってった。秋組に着せに行くって言ったから、そのうちここに来るんじゃない」
「幸ーーーーーーーー!!」

 言い終わるのとどっちが早かったか、レッスン室を威勢のいい声が通り抜けた。入口に立つ楽しそうな九門はマリウス王子の衣装を身にまとっている。

「衣装着たまま寮の中走んな。一人で着られるなら問題ないと思うけど、こっち来て」

 ぱたぱたと音を立てて小走りで九門が入ってくる。幸がだから走んなっつーの、と九門の頭を叩いてから細かいところを確認していくのを、莇は壁に寄りかかって座ったままなんとなしに見上げる。
 衣装が身体に合ってるかを見るだけだから、当然髪型やメイクはそのままだ。ヘアメイクをしないただの九門のまま、きらびやかな王子の衣装を着ているのがなんとなく新鮮でつい笑ってしまう。それに気付いたのか莇を見た九門がにかっと笑う。

「動くなっての。莇、ちょっとブーツ見てくんない」
「俺が?」
「見てるだけなら働いてよね」

 幸が指差す方を見ると、左京はラインハルトの二人の着替えを手伝わされていた。さっき喧嘩でもしとけって言ったくせに、とそれはそれで言いたいことのあった幸の言葉を思い出しつつ、九門の脚を掴む。

「わかったよ……で、何しろって」
「よろしい。そこの……」

「ん、だいたいわかった。まだ時間あるから少し余裕見て詰めとくけど、できるだけ体型変えないでよね」

 再び丞を呼び寄せた幸が衣装と共に去って行って、秋組の面々は息をついた。さて、時間も使ってしまったがどうするか。

「……って九門、なんでお前まだいんだよ」

 当たり前のように十座の隣に座る九門に万里が突っ込む。最初からそうするつもりだったんだろう、衣装で走ってきたのにいつのまにかジャージに着替えていた九門が言う。

「今度のウヌス国公演、武の国ってだけあってアクション多いじゃん?秋組の稽古見学したいなーって!邪魔にならないようにするからさ!」

 お願い!と手を合わせられて、秋組リーダー摂津万里は予定表を眺める。

「元々エチュード練の予定でがっつりアクションって感じじゃねんだけど」
「いいよ!兄ちゃんのエチュード見たい!」
「結局そこかよ」

 万里と左京は顔を見合わせた。イレギュラーではあるが、公演のためと言われて無下にするつもりもない。

「じゃー九門も入れてニヒルの役でAB分かれてやることにすっか。左京さんと莇も……ってAが俺と太一だけになんな……左京さん、Aの方入ってもらっていっすか」
「いいだろう」

 存外すぐに話はまとまり、レッスン室の左右に二組に分かれる。臣、十座、九門のウヌス国Bチーム三人と向きあった莇は、臣の掛け声に声を重ねた。

 Bチームのエチュードは普段の秋組にはない雰囲気があった。九門が容赦なく夏組らしさを発揮しまくったからだ。打ち合わせなしに飛んでくるコメディ仕込みのキレのあるアドリブを捌き切れないこともしばしば。ABと何巡かしたころには莇はアクションで消費した体力以上に別のところで疲れていた。

「オイ九門……脚本こんなコメディじゃねーだろうが!何の稽古しにきてんだテメエは!」
「あ、莇そのツッコミいいね」
「あ゛?」
「そこーじゃれてんなー」
「じゃれてねえ!」

 流そうとする万里に噛みつくもあしらわれ、指で時計を示される。稽古の終了予定時刻だ。

「――んじゃ、今日の反省点と共有事項はそんなとこか。ウヌスのことも含めて監督ちゃんに共有しとく。んじゃ、お疲れ様でした。解散」

 リーダーの号令に一礼すると、各々レッスン室を後にし始める。ぼちぼち出掛ける準備しねえと、と考えていた莇の背中に、九門が飛びついてくる。

「莇!このあとなんか予定あんの?」
「もうちょいしたら出掛ける。何?なんかあった?」

 肩にからみついてくるのを引き剥がしながら問えば、横に来た九門は何か企んでいるかのようににひ、と笑う。

「出掛けるって駅の方だよな?じゃあちょっと遠回りしない?莇と行きたいとこあるんだ」

 「莇と」。九門のこういう言い方がずるいと思うようになったのはいつからだっただろうか。こいつの誕生日、文化祭、いやもっと前からかもしれない。ひとつ確かなのは、その頻度が一段と高くなったのは莇が高校生になってからだということだ。

「……遠回りって、どんくらいかかんの。四時半には出るんだけど」
「え!じゃあ十五分!十五分でいいから!」

 なんだか必死な九門がおかしくて、莇は笑って頷く。そうして四時十分頃、莇より先に玄関にいた九門は莇が思ったよりめかしこんでいた。

「お前、この後どっか出掛けんの?」
「へ!?なんで!?」
「いや、そのジャケット見たことねーから。なんか気合い入れてんのかなと思って」

 莇がコートの襟を整えながら首を傾げると、九門はなんとなく微妙な顔をしてから「まーそんな感じ」と苦笑いした。よく意味がわからない。

「……まーいーけど。さっさと行くぞ」

 二人連れだって寮を出る。駅への道を途中まで行ったところで、九門は駅前の街を大回りする方を指さした。

「こっち!」
「こっちって……」

 もしかして。九門の目的をなんとなく察した莇が少し二の足を踏んだのがわかったのか、九門は莇の手首を掴んで走りだす。

「あ、おい!」
「あははははは!」

 時に強引な年上の友人は今も話を聞きやしない。いつのまにか声を上げて笑い出す九門につられて、莇も笑い出してしまう。そんなだったから、足を止めた九門に気付かないでまともにぶつかってしまった。

「おい九門、急に……」

 顔を上げて気付く。やっぱり九門の目的地は莇の想像した通りの場所だった。
 暮れたばかりの薄暗い街を彩る、きらきらと舞う光。この時期にだけ現れる幻想的な風景が、二人を包み込んでいる。
 駅前を淡い青色に染め上げるクリスマスイルミネーションの中、気付けば九門は莇を見つめていた。

「……何だよ」
「へへ!莇と一緒にやりたいこと、また叶った!一緒に見に来たかったんだ!」

 そう言う九門の笑顔とイルミネーション、どっちの方がきらきらしていただろうか。まぶしいくらいの九門の姿に、莇の中のどこかが音を立てた気がする。
 九門が莇との思い出を作りたがるのは、最初で最後だからなのだ。一年しかない、同じ土筆高校に通う期間だからこそ。
 それがどういうことか、数か月後の彼がどこにいるのか。莇は九門がそういうことを言い出すたびに思い知ってしまっている。

「ね、莇。綺麗だよな」

 それをこいつは、どの程度自覚しているのだろう。だけど。

「……ああ」

 この宝物みたいななきらきらを、曇らせたくなんてないから。ほんの少し沈むそれは表に出さないで、隣にいる思い出だけ大切にしまっておく。

「そーいやお前、さっきの稽古。コメディ寄りにしまくんのはどーかと思うけど、アクション様になってたじゃん。俺結構好き」
「ほんと!?莇に褒められんのすっげー嬉しい!今度の脚本兄ちゃんとの殺陣あるんだ、かっこよくできるかな!?」
「お前も太一さんもあの中じゃタッパねえし、そこはまぁ見せ方次第だと思うけど。楽しみにしてる」
「まっかせといて!あ、そういえば莇どこいくの?夕方からって珍しいよね」
「ん?……ああ、バイト」