裸足【A3】

SS

足の爪を塗る話

「九門、ちょっと足貸せ」

莇が足首を掴んで迫ると、九門は固まって動かなくなった。

「……へ?」

目をいつも以上に見開いて、動揺しているのかそわそわした様子だ。それを見て莇はさすがに唐突だったかと思い直す。
九門からしてみれば 遊びに来た友達の部屋で突然よくわからないことを言われたことになる。最低限の説明が欠けていた。そう気付いた莇は、悪ぃ、と一言置いてから、事の次第を話し始めた。

最近の皆木綴は古代の異国に踏み込んだ脚本案を練っているらしい。異国情緒という意味なら夏組の旗揚げ公演から砂漠が舞台だったし、カンパニーにとって身近な異国ザフラに絡めた芝居は何度か経験がある。それよりもっと、歴史や文化に沿ったものに挑戦してみたいという。
雑談程度だったけれど、それを聞いた幸はたいそう楽しそうだった。もちろん、古代当時と現代では色々と条件が違う。素材や製法だって失われたものはあるだろうし、残っていたとしても銭ゲバヤクザとの戦いもある。それでも、できる限り近付けたい。綴がその気なら余計に。衣装係の腕が鳴る。そう言う幸の目は輝いていた。
凝った脚本に応えるビジュアルを作りたいのは当然莇も同じで、幸と同じように乗り気だった。舞台となる古代の服飾や化粧を調べてみると、特に目についたのが爪だった。男女問わず、手足の二十の爪が鮮やかに彩られている。手の爪はいつかの公演で塗ったことがあったけれど、足というのは新鮮だった。でも、近付けるならやった方が良いに決まっている。となれば実践は必要で。

「人にするフットネイルの練習してみたくて」
「なるほどな~」

それなら、と大人しく了承した九門の足を取って、濡らしたタオルで指先を拭う。くすぐったくて変な感じ、と声をあげる九門の足の裏を触ってやろうかと思ってやめる。遊ぼうとしているわけではないのだ。

「使うのは手のと同じでいーの?色は?なんかおまじないの内容変わるんじゃなかったっけ」
「よく知ってんな」

装飾や化粧が魔除けやらの意味を持つのはどの文化でもよくあることだ。それでもここの文化は莇も今回調べて初めて知った。比較的マイナーなその文明を九門が知っていたのが意外で、手は止めないままソファの上の九門を見上げる。ソファの下、ラグに座る莇を見下ろした九門は肩を竦めて笑う。

「この前至さんとやってたゲームに出てきてさ、それで」
「あーわかった、いい」

暗黒騎士だかそういうかっこいい(?)ものを好んでいるのは知っている。自分がついていけないことも。九門の足に視線を戻すと、目の前の足がばたばたと動く。

「おい、邪魔」
「そんな流さなくてもいいじゃんかー」

ぺちり。足の甲を叩く。小さくいてっ、と痛くもなさそうな声をあげた九門は、それで?と首を傾げる。

「何色にすんの?」
「そーだな……」

ベースコートを塗りながら、横目で小瓶を眺める。色とりどりに並べたそれらは、それなりに種類はある。でも、さっき九門も言っていたような、まじないの意味も考えると、

「……うし、決めた」

塗り終えたベースコートを置き、選んだ一色を開ける。瓶の淵でブラシをしごく莇を九門が覗き込んでくる。

「どーゆー意味の色なの?」
「バカが直る」
「ひでー」

その文化では知恵の神に通ずるらしいその色を、九門の爪に乗せていく。ブラシが滑るごとに、ベビーピンクが鮮やかに染まっていく。

「……なんか、いいね、こういうの」

片足の爪を塗り終えた時、九門が落とすように口にした。

「こういうのって、何が」
「莇が公演のメイクしてくれるのはいつもだけどさ、その時はあんまり自分の顔見ないじゃん」

顔へのメイクは目元も含むからこそ、自分の顔が変わっていく様子をずっと見ていることはない。その点、莇の手に爪が彩られていく様子は余すことなく見つめていられて、それが心地良いのだという。

「いつもこうやって、莇の手で綺麗に変えられてるんだなーって」

ちょっとうれしい。そんなことを言って、くすぐったそうに笑うから。

「……馬鹿言ってねーで、ほら、今度そっちの足」
「はーい」

平静を装えているだろうか。反対の足を掴みながら、莇は小さく息を付いた。

知恵の神の色なのは本当だ。でも、選んだ理由はそれだけじゃない。ほんの少しだけでも、九門をその色に染めたいなんて思ったからだ。
そんなところに、「変えられて嬉しい」みたいなことを言われてしまったら。九門が何も知らないのはわかっている。それでも、少しだけ、自惚れてしまいたくなる。
つやつやに色付いた九門の爪――小さな朱色を、そっと撫でた。

***

「マジで公演で使うなら毎日塗り直すけど。一応どんくらい持つか見たいから、落とすなよ。学校で裸足になることないしいいだろ」

莇がそう言ったから、九門の指先はまだ明るい色に染まっている。九門は自室のベッドで半身を起こして、足の爪を眺めた。
手の爪はずっと視界に入るから好きな色にしていると気分がいい。テレビでネイルの特集をしているときだったか、監督が頷いていたのを思い出す。今ならその意味がわかる。これはちょっと、ずっと見ていたくなる。

「莇の色、だもんなぁ」

バカが直るおまじないの色、なんて言うのもきっと嘘じゃない。でもちょっと、そういう意味で塗ってくれてたら、なんて。
そう思ったら、靴下を履くのがもったいない。

「……そうだ」

夏組は最近、毎朝中庭でラジオ体操をしている。いつもはスニーカーで参加しているけれど、明日はサンダルを履いていこう。幸あたりには呆れた目で見られるかもしれないけど、それよりもずっとこの色を見ていたいのだ。

「へへ」

つやつやに色づいた朱色を撫でる。魔法の手を持つひとを思って、九門はくしゃっと笑った。