次の瞬間、世界は歓声に包まれた。

月明りが落ちる窓辺で耳を澄ませる。微かに届く排気音。だんだん大きくなるそれに小さく笑って、窓に作ったアールを滑り出す。宙を舞いながらデッキを回して、警戒な音を立ててアスファルトに降り立つ。それとほぼ同時に聞こえたバイクの止まる音に振り返る。
「暦!」
応えを声に出す代わりに拳を突き出す。俺たちの手が無限をかたどって、微笑みあう。この形にもずいぶん慣れた。
「ほら、早く」
「おう」
投げられたヘルメットを被って後ろに飛び乗る。ドープの配達用のバイクもすっかり俺たちのSへの交通手段だ。こいつも今度メンテしねぇと。そんなことを考えながら腰に腕を回しながら見上げた空には瞬く星がよく見える。
きっと、今日もサイコーの夜になる。

廃鉱山の上、日常から離れた閉ざされたゲートが開けば、そこはスケート馬鹿だけの空間だ。ここにいるヤツらは、誰だってスケートが好きで、技を高める事が、刺激的なレースが好きで仕方ないんだ。
集まるのはいつのまにかいつものメンツになったヤツらだ。俺を小突いてきた色男、もといジョーはあのトーナメント以来だろうか、ますます黄色い悲鳴が増えた気がする。声援が増えたのはその隣のチェリーも同じだ。ミヤも競技スケートの大会が近いだとかよっぽどのことがなきゃ花屋の車に乗ってくるし、シャドウのおっさんも相変わらずアンチヒーローを気取っている。もちろん俺たちだって、来ない日はない。
すぐ隣を滑るランガの横顔を見る。最近ではランガのファンっぽい女子の姿も見えるようになってきて――
「レキーーーー!!」
急に聞こえた俺の名を呼ぶ声は、どう聞いても高い――つまり、男のものではないもので。
ぐぎぎ、と音がしたんじゃないか。俺はぎこちなく声の方を見た。イエローのパーカ。ヘアバンドにリストバンド。連れ立った二人の女の子の服装は、たぶん、
確かに俺も、愛抱夢との一戦以降、名前が知れた自覚はある。スノーと一緒にいるヤツ、じゃなくてレキって呼ばれることは増えた。メカニックとしてデッキ周りの相談なんかを受けたこともある。だけど、こういう声の掛けられ方は初めてで。
「こいつも一丁前に取り巻きできはじめやがったか」
「スライムもゆるキャラとして人気があるしね」
「おい」
好き勝手言うシャドウとミヤを睨んでから、沿道の彼女たちに向けて手をあげる。きゃー、と上がった歓声。勘違いじゃなければ、本当に。
だって、あの子たちの服装だって、似せようと考えなければできないもののはずだ。俺だってものを作るからよくわかる。それだけの時間をあの子たちは割いてくれたってことなんだ。その事実に頭がぐるぐるしてくる。
途端、足元がぐらついた。世界が傾く。後ろに倒れそうになる。あ、やばいかも。――目を閉じかけた俺を支えたのは、真後ろから伸びたごつい腕。
「かーっこつかねえなぁ?シニョリーナの前で」
「うう、サンキュー……」
かっこつかない俺をかっこよく助けたジョーに、一際大きい悲鳴があがる。たくましい腕を借りて姿勢を立て直して、ランガの横に戻る。不自然に伸ばされたランガの手は、俺を支えようとしてくれたんだろうか。
「悪い、ありがとな」
俺の言葉に手をひっこめたランガはちょっと眉を寄せた微妙な表情のままで、目をそらしてうん、とうつろな返事をよこした。しばらくしてこっちを見たランガは、真顔で俺に言い放った。
「暦、俺とビーフしよう」

「何をもらうかは、あとで言うから」
そう言って滑り出したランガは、俺よりずっと先にゴールした。ストレートが速くてエアが高い、勝負に容赦がなくてスケートがかっこいい、いつものランガだ。――スタート前の視線が、いつも以上に燃えていたこと以外は。
そういえばあれはなんだったんだろう。ランガの勝利への歓声が響く廃工場の中、ランガに遅れてゴールラインを通った俺は、そんなことを考えていた。だから、横から伸びてくる腕に気付かなかった。
「ラン、!?」
思い切りハグされている、ランガに。なんで?なんで俺抱き着かれてんの?まるで、そう、あのトーナメントの決勝の時みたいに。
「……おーい、ランガさーん?」
声をかけてもびくともしない。腕を叩いてみても、さらに強く抱きしめられる有様だ。
聞こえてくる歓声の質がなんだか変わってきている気がする。ぎゅーっと音がしそうなくらいくっつかれてから、耳元にランガの声が落ちた。
「俺が勝った」
「ん、そうだな」
「なんでもしてくれるって言った」
「言っ……ってねぇけど、ビーフはそういうもんだからな。聞くよ」
「暦からもらいたいものがあるんだ」
「そりゃ、」
お前が言うなら、なんでも。
言い終わる前に、頬があたたかい感触に包まれる。
――雪の色をした長い睫毛が、至近距離に写った。