MPD九門くんバクステベースのバレンタインネタ。
高校にもなると野放しにしていいと思われるのか、良くも悪くも中学より自由にしてるヤツが出てくる。クラスの女子にもそんなのがいて、時々大量の焼き菓子を作ってきてはクラス中に振る舞っていた。街中がピンクに染まった二月半ばの今日にもブラウニーを量産してきたみたいで、男子女子関係なく配り歩いている。クラスメイトの俺どころか、
「え、オレも貰っていいの?」
すっかり顔馴染みになった、二学年上のセンパイにまで。
***
ざわざわと人通りの多い駅の改札を出る。そのまま寮までの道を歩き出そうとして、隣に誰もいないことに気付いて振り返る。俺の後ろ、少し離れたところで画面を覗いていた九門は、ものすごくニヤついた顔でスマホを仕舞って左右を見る。改札の先にいる俺を見つけると目を大きく見開いて、ぱたぱたと小走りで俺の前まで来た。
「莇!ごめん、待たせちゃったな」
「別に。お前、すげーニヤけ面してた。ウケる」
「え!?」
そんなだったかなー。頬をぐにゃぐにゃ揉み始めた九門の横を歩きながら、十座さん?と聞いてみる。こいつをあそこまでの表情にする人は多分他にいない。
「んー、あってるけどちょっと違う!LIMEしてたのは椋で、兄ちゃんにあげるケーキの話してた!」
バレンタインだから!そう言って九門は笑う。――そう、今日は二月十四日。限定のチョコやらクッキーやら、甘い洋菓子が山ほど出るこの時期、夏組の従兄弟は二人で劇団一のスイーツ好きにチョコケーキを作るらしい。
「ケーキといえばさ、さっき莇のクラスの子もくれたよね」
九門は歩きながらバッグに手を突っ込んでブラウニーの包みを取り出す。それを横目に見ながら、俺もバッグを少し開けて貰ったそれを覗き込む。かさ、紙袋が音を立てる。
きらきら細かく光を反射する包み紙、何重にも輪を作って結ばれたリボン。凝ったように見えるラッピングは、たぶん百均よりも格安だという二駅先の文具屋で売ってる包み紙だ。団員向けに監督と臣さんが作ろうとしてたチョコのラッピングに左京が口を出していたときに見たのと同じだ。包装紙の激安情報なんてどこで仕入れてくるんだよ。
安い素材でよくやるよな。やりくりまでやりがいになっちまうってのもわかるけど。自分の仕事と重ねて考えながら、ふと思い出したことがあった。大量に作って大量に配る、そんなことをこの男もやったと聞いたような。
「……そういやお前、去年野球部に配ったんだってな」
開けていたバッグを閉めて九門の方を見る。まっすぐ伸ばした手で目の高さに包みを掲げたまま、金色がこっちを見る。
「え?あ、カントクか臣さんに聞いた?そー、マネージャーが彼氏にしかあげないって言って、貰えなくなっちゃうから。……でも今年はそのマネージャーに止められたんだよね」
「マネージャーに?」
どういうことだ。自分の、その「付き合ってる人」は、自分からしか貰って欲しくない、という独占欲ならまぁ、わからないでもない、気がする。でも、去年九門が渡したのはその他大勢の野球部員のはずだ。なんでマネージャーが。
「オレがみんなにあげたの臣さんに手伝って貰ったからさ。お菓子自体もラッピングもすげーおいしくかわいくできてさ」
「まぁ、そうだろうな」
頷くと、九門は臣さんすげーセンスいいよなー!と腕を振り回す。お前は話してる側だろ。それで、どうなったんだよ。
「オレがあげたの見て、キャプテン……マネージャーの彼氏が『可愛いな』って言ったら、マネージャーが拗ねちゃってさ。私より可愛いの作ってくるなら兵頭は部員にも持ってこないで、って言われちゃった」
「あー……」
そういう「自分が一番可愛いって言われたい」って気持ちがあるんだろうことは、俺にも想像できる。それにしたって。
「他の女子とかじゃなくて、九門が作ったもんでも気になるんだな……」
「えー!去年作ってったヤツはみんなすげー喜んでくれたし、絶賛だったんだからなー!」
「どーだか」
「てか莇、今更だけどこんな話大丈夫だった?真っ赤だよ?」
「るっせ、ほっとけ!」
子供っぽく膨れてみせる九門に、ちょっとからかうみたいに笑う九門に。俺はいつもみたいに返せてたかな。友達の顔をしながら、心の中はずっとぐちゃぐちゃだった。
なぁ九門、お前のチョコが絶賛されてたって、知ってたよ。
だって、俺のクラスにも野球部はいた。「兵頭先輩が絶品の手作りチョコをくれるらしい」とだけ聞いてたらしいそいつが妙にそわそわしてたから。その話を聞いて「先輩、お菓子作れるんだ」と高い声を上げていた女子がいたから。
一年のクラスまで俺を呼びに来るせいですっかり有名人になった九門が、いろんな意味で「大人気」なのを感じて俺がクラスでもやもやしてたのなんて。今年も誰かにやったのか気になったのなんて、作ってないって聞いて少し安心したのなんて。安心なんてした自分が嫌になったのなんて、お前は知らないだろ。
こんなわけわかんねー俺なんか、お前は知らないままでいい。
***
気付けば、寮はひとつ角を曲がったところまで近付いていた。道の先に向けた視線を隣に戻すと、九門はチョコケーキの包みを見つめたままだった。どうしたんだよ。声をかける前に、横顔のまま九門が言う。
「椋と兄ちゃんにあげるケーキなんだけどさ。オレは兄ちゃんとか椋みたいに甘いの大好きなわけじゃないけど、二人ともオレも一緒に楽しんで欲しい、って言うから、ビターチョコのケーキと自分でかけられるシロップとかクリームのセットにすることにしたんだ」
帰ったら椋と二人で仕上げて盛り付けて、夕飯のあと椋が誉さんに相談して用意してくれた紅茶と一緒に兄ちゃん誘って食べるんだ。そう言う声はすごく楽しそうだったけど、見つめた横顔にほんの少し違和感があった。なんだろう、どこか緊張してるみたいな。
「お前クリーム苦手だもんな」
「うん。……それでさ」
いきなり駆け出した九門が俺の前に立って、歩みを止める。なんだよ、という前に九門が突き出してきたのはラッピングされた包み――俺のクラスで貰ったブラウニー、
……ではなかった。文具屋の包装紙も鮮やかに巻かれたリボンもそっくりだし、中身もチョコケーキだ。だけど、細かいところが違う。リボンを留めてる六芒星のシールなんかは、たぶん女子の趣味じゃなくて、むしろこいつの、
「……え」
まさか。
「シロップもクリームもかかってない、ビターチョコケーキ!甘さ控えめだけどおいしいって臣さんも言ってくれた!ナッツとかフルーツも入ってるから栄養バランスもいいよ!」
たぶん!言いながら九門が包みを押し付けてくるから、勢いに押されて受け取ってしまう。俺をまっすぐ見た九門が一瞬息を止めて、それから大きく息を吸ったのが見える。吐き出すと同時にいつもの笑顔を俺に向けた九門は、今度はさっさと前を向いて腕を回し始めた。
「じゃ、オレシロップやるから先帰るね!椋もそろそろ返ってくるから!」
「ちょ、待っ」
「じゃーあとでねー!」
言い終える前に九門は走り出していて、走者としても自信があるらしい元野球部の背中はあっという間に遠ざかる。俺だってすぐ追いかければ捕まえられたはずなのに、走りだせなかったのは、突然渡されたもので両手が塞がってたからだ。
いや、渡されたのが、拳に握れるものだったとしても。
改めて、押し付けられた包みを見る。これがなんなのか、九門ははっきりとは言わなかったけど、俺の考えは間違ってないはずだ。
「……落ち着け」
最愛の兄貴に、野球部の連中に手作りするヤツだぞ。この左京口出しの激安ラッピングってことは監督や臣さんと一緒に作ったんだろうし、劇団の全員に用意してるって考えた方が自然だ。俺が特別なわけじゃない。はず。
でもならなんで、俺には今、
「…………あーーーーー」
いくら考えたってわかりっこない。あいつが俺のことを、なんて自惚れたりしない。けど、「劇団員の」「友達の」俺にくれるくらいなら、俺から、ダチから渡しても、九門は喜んでくれるのかな。
寮へ歩いていた足を反対方向に向ける。今からならまだ、どこのスイーツフロアも開いてるはずだし、いや、キットカットとかブラックサンダーでもいい。少しだけ、あいつに仕掛けてみたくなった。
どんな意図だって、俺にとっての「本命」に先越されたんだ。柄にもなく、浮かれてみたって、なぁ、いいだろ?
誰にともなく呟く。六芒星のついた包みを握りしめて、俺は街の方へ歩き出した。