You make me Rainbow! -2-

You make me Rainbow

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 透明な水をかき分けて泳ぐ。慣れた海を斜め上に、太陽の光が射す方へ向かう。だんだん海底が浅くなるのを感じるごとに気持ちが逸る。浜が近付いている。
 岩場のそば、入り江の近くの水面に顔を出す。空と海の重なり合う青、光を反射する浜の白、生き物の気配の混じる岩場のまだらのグレー。浜の中で一際目立つ赤色に自分が笑うのがわかる。やわらかく揺れて、夕焼け色が俺を捉える。
「ランガ!」
 暦の明るい声が俺の名前を呼ぶ。こっちに向かって大きく手を振ってくる。
 応えて、水面から出した手を振り返した。

 暦の浜辺に袋――ものを効率的に持ち運べるようにと作られた道具らしい――をひっくり返す。中に入れていたのは、俺が海の中で拾ってきたものたち。少し前に、暦が言っていたから。
「……貝殻?」
「言ってただろ、きらきらした貝欲しいって」
 この前ここに来たのが三日前、その前に来たときだから、たぶん七日前だ。最初に来たときと同じように、暦は磨いた貝殻やシーグラス(ガラスっていう透明な板や容れ物の欠片が海で削れたものらしい)、流木を加工したものや星の砂(不思議な形をした穴のあいた砂のことみたい)で色々なものを作っていた。ブレスレット、ネックレス、ピアス、ヘアゴム、手首や耳、髪を飾るためのアクセサリー。フォトフレーム、キーホルダー、ランプシェード、小物入れ、部屋を彩るインテリア雑貨。幼い妹たちも喜ぶって話してたっけ。
「『もっと真珠とか採れるようなきらきらした貝で作ってやりたい』って言ってただろ。真珠って呼んでるのが何のことかはわからなかったけど、きらきらした貝には心当たりあったから」
 浜に転がした貝殻を並べる。尾の途中から波に沈めて、俺も浜にうつ伏せになる。
「……ほんとだ、真珠貝じゃん。滅多に流れてこねえよこんな綺麗な状態のヤツ」
 目を見開いて暦は貝殻をつつく。二枚合わさる貝の内側が陽の光を受けてなめらかに輝く。
「貰ってくれる?」
「んーー……」
 暦の顔を覗き込む。喜んでくれると思ったけど、暦はなんだか難しい顔をしている。
「すげーありがたいんだけどさ。俺は浜に流れてくるもんで作ってるから……俺だけじゃ手に入れらんないもんを貰うのは、なんか違うっつーか」
 暦は腕を組んで首を傾げる。貰ってくれないってことだろうか。俺はいちばん大きい貝殻を手に取る。
「……色々助けて貰ったお礼、したいだけなのに」
「う……だけどなぁ」
 暦を見つめる。暦は俺から逃げるみたいに目を閉じて、その上目を逸らしてしまう。
「……だめ?」
「……あーーわかったよ!!」
 暦は耐えられない、っていう風に叫んで、俺の手から貝殻をひったくった。貰ってくれる。嬉しくて顔が緩むのがわかる。俺の顔を見た暦がまた息を詰めて、それからため息をつく。なんだろう、今日の暦はいつも以上に表情がよく変わる。
「おっ前さぁ……強情っつーか、甘え上手っつーか……」
「そう?」
 そんな自覚はなかったけれど、暦が言うならそうなのかもしれない。あーー、また唸るみたいな声を出してから、暦は俺に向き直る。
「すげえ助かる」
 さんきゅ。くしゃ、暦の手が俺の頭を撫でる。なんだかくすぐったくてあったかい。
「暦に喜んでもらえて俺も嬉しい」
「でもほんと、気にすんなよな。むしろ、お前が作るのに興味持ってくれてる方が嬉しいし。完成品はともかく、作るとこ見てたいって言ってきたヤツ初めてだし」
 じゃあ、今までのヤツは見る目がなかったんだな。俺は素直にそう思った。
「……それで、今日は何してたの?」
 浜に転がったまま、暦の足下に広がるものを見る。木材と、よくわからない形のものが取り付けられたボトル。
「んー、桟橋直そうと思って」
 貝を反対側に動かして座りなおした暦が言う。今度はボトルを手に取って木材に向かう。……さんばしってなんだろう。
 ボトルの先には長細い棒みたいなもの、さらにその上には小さなカップがついている。棒の先端を木材に向けてボトルと棒を握ると、先端から霧が吹き出す。木材の霧が触れた部分に色が付いていく。……おもしろい。
「それって霧?だよな?」
「ん? あー、そんな感じ」
 エアブラシというらしい。棒についているスイッチを押すとボトルから空気が吹き出して、カップに入った色の付いた水――暦は塗料って呼んでた――を吹き付けて霧状にする。均一に色を塗るための道具だって暦は言う。
「へえ……。霧って人の手で作るのもいろんな方法があるんだな」
「そーだなー……あ」
 いいこと思いついた。くしゃっとした声でそう言った暦の顔は、すっごくきらきらしていた。

 太陽の光の注ぐ方、空へ向かって海の中を泳ぐ。手で水をかき、尾で波を叩く。浅い海底に俺の影が落ちている。そこに広がる珊瑚、海藻、魚たち。海の中にはいろいろな色があるんだって最近気がついた。
 暦に会う前だって、この辺りには来たことがあった。珊瑚たちがここに生きていることは、ずっと前から変わっていないはずなのに。
 岩場が狭くなる地形が、いつもの入り江の近くだと教えてくれる。スピードを上げようとした俺の目に飛び込んできたのは、浜で見慣れた赤色。
 入り江からすぐ、海の水の中。暦が俺の目の前にいた。
「……!?」
 大きな目を瞬かせてにかっと笑う表情は見慣れたそれだ。熱い手が俺の手首を握る。そのまま腕を引かれて、二人で水面に上がる。
 ぷはっ、と大きく息を吸い込む暦の肌を水滴が流れる。鮮やかな色の髪が濡れて顔に張り付いている。くしゃくしゃになったヘアバンドを外しながら手の腹で顔を拭って、水の中でそうしたみたいに俺に向かって歯を見せる。
「よ」
「……びっっっっくりした…………」
 驚きすぎて心臓が速い。長く息を吐いて暦の肩に額を預ける。責める気持ちも込めてぐりぐりと押しつけると、痛いって、とたいて痛くもなさそうに声を上げて俺の頭を叩いて来る。
 俺だって知っていた。人間だって泳ぐ。こんな海の近くに暮らしているなら泳げて当然だ。今まで暦が潜ってるのを見たことがなかっただけで。
「どうしたんだよ急に」
 今まで泳いでるとこなんか見せたことなかったのに。顔を見ながらなじる。握られたままの手を引かれ、いつも俺がいる岩場に導かれる。
「見せたいもんがあってさ。ランガが来るかもって思ったら潜っちまってた」
 俺だって毎日来てるわけじゃないし、時間だって決めてないのに。いつから何してたって言うんだろう。
「ほんとついさっき。お前が来る気がしてさ」
 そしたらほんとに来た。
 そんなふうに言う暦は、陽の光みたいに、きらきらで、
「……そういうの、よくないと思う……」
「何言ってんだおまえ」
「そんなの俺だってわかんないよ」
 でも、暦のそういうところ、ダメだと思う。
「変なヤツ。……そうだ、それより、こっち」
 ざばん、暦が音を立てて岩に乗り上げる。水中から空気中にさらされた身体がひとつ大きく伸びをする。
 いつもはオーバーサイズのパーカに包まれて見えなかった身体は、思いの外引き締まった筋肉をしていて。
「……何?」
「別に。結構鍛えてるんだなって思っただけ」
 暦は自分のおなかを見下ろす。それから腕を曲げて力を入れて、ちいさく力こぶを作ってみせてくる。
「ここ住んでりゃ泳がないわけにいかないしな。あとサーフィンやってるからかも」
「サーフィン?」
「板使って波に乗るんだ。今度見せてやるよ」
 板を使って、波に。流れついてたみたいな板切れに座る暦を想像する。それでどうやって波に立ち向かうんだろう。そもそも、乗るってどういうこと?
「で、見せたいものってこれな」
 暦は岩の上にに丸めていた布を広げて見せる。包んであったものを両手に持って、俺の目の前に持ってくる。
 広げられた紐の真ん中に、透明な筒みたいなものがふたつ連なっている。筒の片側に穴があいていて、それに紐が通されてるみたいだ。
 筒はひとつが人差し指くらい、もうひとつはその倍くらいの長さ。それぞれにくぼみがついている。
 俺は首を傾げるしかなかった。どうして暦はそんなに楽しそうにこれを見せてくるんだろう。
「見てろよ」
 透明な二本の筒に付けられたくぼみを合わせると、直角になる形で繋がった。長い方の端を海面に指す。それから暦は、筒が繋がったあたりに強く息を吹き入れた。
 筒の短い方から、細かな水の粒が吹き出す。
「――霧!!」
「こんなチャチな仕組みでも、ちゃんと霧になってるだろ?」
 お前にエアブラシの事話してて思いついたんだ。暦が俺を手招く。岩のすぐそば、暦の足元まで近寄ると、暦の顔が近付いてくる。
「……えっ」
 目をつむる。ふわり、頭の回りに空気の動きを感じて、離れていく気配に目を開ける。胸元にひやりとした温度を感じて視線を下げると、目に入るのはさっきの筒。
 筒に通された紐が、俺の首に掛けられている。
「持ってけよ」
「え」
「霧。これでお前も虹が作れるだろ」
 太陽出てるときに空気のあるとこじゃないとだけど、お前の好きなときに見られるだろ。
「貰って、いいの」
「俺の方が貝とかいっぱい貰っただろ」
「それはお礼だからだって言っただろ」
 というか、そういう話じゃない。虹が見たいって言った俺のために、俺のことを考える時間とか、作る時間とか、たくさんのものをいっぺんに貰っている。
 帰るときに助けてくれたのだってそうだ。他人どころか俺みたいな人魚にも寄り添ってくれる。暦はそういう人なんだ。
「俺がやりてぇの。……お前が喜んでくれたら、それが俺には一番なんだけど」
「うれしい」
 食いつくみたいに言った俺に一瞬目を見開いて、くすぐったそうに細める。大げさだろ、なんて声をあげる暦が、すごく、
(かっこいいなぁ)
 友達になれてよかった。素直にそう思った。
「他にもさ、なんかあれば言えよ、作ってやるから」
「……それじゃあ、ひとつ頼み事していい?作って欲しいもの」
 暦は口を開けて固まった。と思ったら目をめちゃくちゃきらきらさせて、岩から落ちそうなくらいに俺に詰め寄ってくる。
「なんだよ!!あるなら早く言えよ!!」
 すっごく嬉しそうだ。作ることが好きな、楽しそうな暦を見てると、俺も楽しくなる。
「俺の母さんに何かあげたいんだ。今の俺が好きなもの」
 ぱしゃり。尾の先を水から出しながら言えば、暦は不思議そうな顔をする。
「いいけど、なんか、平気なのか? それも。俺が作ってるようなもんだと多分海の上にいたってわかるぞ」
 食われるって教え込まれてるんだろ?そう尋ねてくる暦が、やっぱり暦だなぁって思う。
「……たぶん、大丈夫。おとぎ話の子も色々拾い集めてたって言うし。最近貝殻集めてたのも知ってたし」
「そうかぁ…?」
「ていうか今の霧のも、布の袋も、そもそも初対面から貝殻細工くれただろ。それはどう考えてるんだよ」
 畳み掛けると、さすがに部が悪いと思ったのが、暦は頭を抱えて俺に手のひらを向けてきた。止まれ、みたいなジェスチャーだ。
「わかった、俺が悪かった。協力する。……でも、俺は作らねえ」
 話が違う。言おうとした俺を遮るみたいに、暦は俺に顔を近付けてくる。
「せっかくお前のお母さんにやるんならさ。お前がなんか作ってみろよ。教えるから」
 な? 肩を揺らす暦の提案。俺は感情が表情に出てたんだろう。暦も楽しそうに笑う。
「……うん!」
「おし!」
 差し出された手のひらにハイタッチする。それじゃ、と暦は浅瀬を歩いて陸地へ上がる。濡れないようにと浜から離して置いていたバッグを探っている。
「っと、これこれ。初心者が作るんならここら辺かなー。ほら、見えるか?」
 暦が見ているのはノートらしい。のそのそと肘だけで進んで陸に上がる。暦の両手に収まるそれを覗き込む。
「わぁ……!」
 白い紙の上に淡い灰色。色もついていない、開いたノートの大きさしかない。でも、そこは暦の世界そのものだった。踊るみたいな筆跡には描いた時の夢中さが表れているみたいだ。絵も文字も生き生きとしていて、一色なのにカラフルに見えてくる。そのものがそこにあるみたいだ。
「……すごい、これが暦が作ってきたものたちなんだね」
「そこまで言われるもんでもねぇけど」
 でも、悪い気はしないんだろう。暦は上機嫌に、ノートの中身のことを話してくれる。
「――で、これは、珍しい流木があったからさ、この時の削り方で……」
 楽しそうに喋る暦の声は心地いい。だんだん、頭がふわふわしてくる。身体があたたかい。だけどなんか、眠くなってくるのとは違うような……
「――ランガ!?」
 焦ったみたいに名前を呼ぶ暦の声。それを最後に、俺は意識を手放した。

 身体中がひんやりした感覚に包まれている。気持ちがいい。額に触れるぺたりとした熱に導かれて目を開ける。――まっすぐな夕焼け色。
「ランガ!」
 よかった、と俺の髪に触れる暦は眉が下がっていて、目元は少し濡れている。……何が、あったんだっけ。俺を撫でる暦の手に触れながら言う。
「俺、寝てた?」
「バカ」
 髪を撫でていた手が額を叩く。下がっっていた眉は今度は吊り上がっている。
「お前、すげー顔色悪かったんだからな。ただでさえ白いのにもっと真っ白になって、干からびそうで。……脚の方まで上がっちまってたのがいけないんじゃないかと思って、とりあえず海の方連れてきたけど」
 言われて身体を見下ろせば、胸のあたりまで俺は海に浸かっていた。頭は浜に座った暦の膝に乗せられて、肩には濡れた布が掛けられている。
「人魚って、そうなんだろ、多分。乾いちゃいけねえんだ。お前さ、もうちょっと自分のことくらいわかっとけよ」
 確かに、そうだ。暦には世話になりっぱなしなのに、今度は迷惑までかけちゃって。ごめん、小さく落とす。
「怒ってはねぇけど……」
「でも、暦のノートに夢中で、暦の声が気持ちよかったから……」
「……お前本当さあ」
 はぁ、と手で顔を覆って息を吐き出す暦に今は反論できない。頭を転がして暦の脚に頬を刷りつける。俺を見下ろした暦が俺の前髪をいじりなら言う。
「今日はもう帰れよ。んでさっさと寝とけ。体調崩したんだから」
「でも」
「いーから。教えてやるのはた今度な」
 多分、暦はこれ以上許してくれないだろう。仕方なく頷いて、頬を撫でる暦の手に擦り寄った。